2010年10月23日土曜日

奈良ウォーキングマップ其の参 9.滝坂の道・円成寺コース

奈良ウォーキングマップ其の参 9.滝坂の道・円成寺コースを歩いた。奈良ウォーキングマップ⑪柳生剣豪ゆかりの地コースの両方を歩けば、東海道自然歩道16.旧柳生街道(滝坂の道)をほとんど踏破したことになる。圧巻はやはり滝坂の道で、能登川のせせらぎを楽しみながら心温まる石仏を巡ることができる。奈良ウォーキングマップ其の弐 1.健脚春日原生林コースで一度訪ねているが、滝坂の道は何度歩いても厭きないだろうし、柳生街道は奈良県のウォーキングルートとしては山の辺の道と双璧であり、季節のいい時期を選んで次回は是非ともコースを分けず一気に踏破したい。


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スタートの破石町バス停は柳生街道の玄関口である。東へ800mほど行くと、東海自然歩道道標があるが、ここはまだ東海自然歩道の本コースではなく、次の東海自然歩道道標から、東海自然歩道を辿ることになる。次の東海自然歩道道標の手前からいよいよ能登川沿いの趣のある石畳の坂道を登り、寝仏夕日観音朝日観音を巡る。次の東海自然歩道道標で左折して奈良奥山ドライブウェイまで北上するのだが、首切地蔵は左折せずに真っ直ぐ東進する道の方にある。能登川沿いに歩く本コースのハイライトはここで終わり、この後は春日山原生林の中を歩く。

次の東海自然歩道道標から奈良奥山ドライブウェイへ出た所にある春日奥山案内図までは東海自然歩道からははずれているようだが、春日山石窟仏案内板では戻っていた。ここから50mほど山道を登りきった所に史跡春日山石窟仏があり、春日山石窟仏はそこから少し下った所にあるのだが、その前の史跡春日山石窟仏にも詳しい解説があった。再び奈良奥山ドライブウェイに戻り、東海自然歩道道標を過ぎ、次の東海自然歩道道標で、奈良奥山ドライブウェイから離れて300mほど東進すると石切峠が、そこからすぐに峠の茶屋があり、東海自然歩道公衆トイレまで来れば、春日山原生林から抜けて人里に出る。

山里の道はすぐに終わり、次の東海自然歩道道標からその次の東海自然歩道道標までは県道184号を歩く。県道と言ってもアスファルト舗装されているだけでほとんどが対向不可能な細い山道なので全くと言っていいほど車は通らず軽快に歩くことができる。この後は完全な人しか通れない山道で、しばらく行くと東海自然歩道道標があり道を間違えていないことがわかる。ここからかなり距離をあけるが次の三つの東海自然歩道道標東海自然歩道道標東海自然歩道道標はあまり距離をあけずにまとまってあった。その次の東海自然歩道道標後が急激な下りの坂道で本コース最大の難所であり、明らかに雨が降れば川になっている証拠に道の中央が凹んでいてとても歩きにくく、しかも足を降ろすのに苦労する程段差が大きい所が多々あった。

しかしすぐに次の東海自然歩道道標の前のような広い山道になり快適に歩くことができる。その次の東海自然歩道道標からアスファルト舗装されて車も通れる道となってそのまま国道369号まで降りるかと思っていたら、その次の東海自然歩道道標からまた人しか通れない山道に戻った。ここからは距離をあけずに四つの東海自然歩道道標東海自然歩道道標東海自然歩道道標東海自然歩道道標があるので、国道369号線にある奈良観光案内図まで迷わず降りることができるだろう。

ここから東海自然歩道は国道369号をしばらく歩くのだが、本コースのゴールは円成寺なので、そのまま国道369号を渡り細い道を行くと円成寺庭園へ出た。帰りは忍辱山バス停からバスに乗ることになるが、円成寺庭園の前の道をそのまま真っ直ぐ行くのが近道である。奈良市街地寄りに次のバス停の円成寺口の方がが近いような名前であるが実際には吉野口のように近くはなく、忍辱山が円成寺の山号でそのものズバリの名前であり、奈良ウォーキングマップ⑪柳生剣豪ゆかりの地コースのスタートも忍辱山バス停である。

今回でウォーキング情報 - 奈良市役所の全コースを歩いた。実に感慨深い。次は多彩なウォーキングコースを掲載 奈良を歩く ゆきめぐりの全コース踏破だ。

2010年10月16日土曜日

歩く・なら「葬るかたち・宮都「飛鳥藤原」西方の古墳を訪ねて」(近鉄飛鳥駅~近鉄市尾駅)

歩く・なら葬るかたち・宮都「飛鳥藤原」西方の古墳を訪ねて」(近鉄飛鳥駅~近鉄市尾駅)を歩いた。明日香村から高取町へ抜ける細い山道でかなり迷って心細い思いをしたので、距離的には前半の歩く・なら「葬るかたち・宮都「飛鳥藤原」西方の古墳を訪ねて」(近鉄橿原神宮前駅~近鉄飛鳥駅)よりかなり短くなるが、コースを分けて正解であった。山道を抜けた後は稲刈り後の田園風景をのんびりと楽しむことができたし、もちろん古墳も盛り沢山で古代ロマンに浸ることもできる。


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まず案山子が歓迎してくれる近鉄飛鳥駅の東を流れる川沿いの道を南下するが、すぐ近鉄吉野線を越えて山沿いの道から完全に山道に入る。わかりにくい道であるが、一山越えて奈良県立高取国際高等学校が見えてくると、形が名を表しておもしろい形のマルコ山古墳はすぐそこである。

この後また完全な山道を一山越えて高取町に入ると、かなり急な石段を百段以上登らないといけない春日神社の境内に草壁王子の墓と言われている束明神古墳がある。この後すぐ訪れる草壁王子の死後におくられた称号の岡宮天皇陵以降は、わかりやすい田舎道で、高取町田園風景をのんびり歩いた後、高取町吉備川沿いに南西方向に歩く。

最後は歩く・なら「うるわしき葛城の古代風景・秋津州古墳の道」でも訪れ、全貌を見えるよう裏側へ回ってもどちらが前方でどちらが後円かわからない市尾墓山古墳と前回は気付かなかったちょっとした仕掛けが楽しませてくれる市尾宮塚古墳を巡って、近鉄市尾駅へゴールする。

2010年10月9日土曜日

奈良を歩く ゆきめぐり「天平文化が散りばめられた奈良市街を一周する 「歴史の道」全長27kmコース」

奈良を歩く ゆきめぐり天平文化が散りばめられた奈良市街を一周する「歴史の道」全長27kmコース」を歩いた。テレビを見ながらWEB閲覧やこのブログの更新をするのにネットブックがずっと欲しかったのが、やっとこれはいいと気に入って買ったのがAndroid搭載のauスマートフォンのIS01である。キーボードを搭載しているとはいえ、ブログ作成にはWindowsPCの使い勝手にはほど遠いが、さすがAndroid、オフラインのまま地図表示のできる無料ソフトがあった。RMapsというのだが、地図上に歩いてきた軌跡を表示してくれる優れものである。その軌跡はgpxまたはkmlフォーマットで出力してくれるので、奈良歴史の道(au地図ビューアー 簡易ハンディGPS)と同様に「歴史の道」を記念に一周した。
(12月29日 奈良を歩く ゆきめぐり「江戸・明治時代の町並みを今に伝える ならまち早回り2時間コース」からきれいな軌跡を描いてくれるOruxMapsに変更した。)
(2014年4月26日 奈良県みどりをつなぐウォーキングマップ「榛原周遊コース」からハードをSC-01Fに変更した。)

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IS01は図体がでかいだけあって、GPSの感度も素晴らしくシャープのURBANOは測位せず、日立のW51Hも測位できても裕に1分以上かかる木造2階建ての1階で、爆速の10秒以内で測位してしまう。携帯基地局からのアシストデータを利用しているとはいえ驚異の測位速度である。また電波OFFモードにしてもGPSは動作してくれるので、GPSロガーとして使用してもバッテリー消費も少なく、スタンバイから抜けてどれだけ地図を表示させているかにもよるが、今回9時間ロギングしても裕に20%の残容量があったので、10時間ぐらいは余裕のようである。扉を閉じたまま地図表示しなければ24時間でも持ちそうな気もするが、時々扉を開けて動作確認しないと不安でたまらない。

「歴史の道」は一周しているので、コース上で最寄りの駅から最も近い場所の一つである西大寺を起点に時計回りに歩いたのだが、終盤の非常に疲れている時に大安寺から薬師寺までのコース最大の退屈な道のりを歩くのがとてもつらかったし、西大寺から平城宮跡までのほとんどはつい先日奈良を歩く ゆきめぐり「西大寺、秋篠寺から御陵の森を訪ねて」で歩いたこともあり、今回は反時計回りで歩いた。結果は失敗で雨の中最も歩いてよかったのは御陵の森だったのに、体力が落ちていて十分に楽しむことができなかった。疲れたなら面白味の無い道でも別にかまわないので、大安寺から薬師寺が最後になるよう、もう一つのコース上から最寄りの駅へ最も近い薬師寺を起点に時計回りに廻るのがベストである。

西大寺からまず南下するが、この辺りは新しい街になっているので、菅原天満宮遺跡天神堀の手前では制定当時の「歴史の道」が失われている。天平文化が散りばめられた奈良市街を一周する「歴史の道」全長27kmコース通りに歩くとこちらの道標を見ることはできないだろう。この後阪奈道路をくぐれば、すぐ垂仁天皇陵である。環濠の周囲の細い石畳の道は正に「歴史の道」を彷彿させてくれる。この後も南下を続け、唐招提寺の手前で近鉄橿原線を横断し、西ノ京のメインストリートを南下した後、薬師寺から東進するも、秋篠川沿いに奈良自転車道標識-7から奈良自転車道標識-8まで南下した後左折して、本格的に東進する。しばらく田園風景の田舎道を歩いた後JR大和路線を越えるために、一旦薬師寺から東進した道へ北上するのだが、今までこの北上する道がどこか確信できなかったが、県立奈良朱雀高等学校を畑越しに望む電柱の陰に歴史の道道標が隠れているのを発見してうれしかった。

JR大和路線を越えた後大安寺南大門の前を通る道まで再び南下し、県道歩道橋を渡ってもさらに東進するが、岩井川沿いに東進するために次の幹線道路を少し南下する。「歴史の道」の地図はデフォルメされてリアル縮尺ではなく、JR桜井線を越える手前では道標を見つけられずに前回はコースを取り違えていたのを、奈良ウォーキングマップ其の弐 8.唐招提寺からはじまるのんびり京終コースを歩いた時に、朽ち果てかけている奈良歴史の道道標を見つけた。この辺りのコースは天平文化が散りばめられた奈良市街を一周する「歴史の道」全長27kmコースはリアル縮尺なのでこちらを参照した方がよい。JR桜井線を越えてすぐに左折して、京終駅まですぐ近くの石燈籠まで北上する。この後また国道169号交点を越えて白毫寺案内横の石畳の坂道を登りきるまで東進してようやく本格的に北上するフェーズに入る。

新薬師寺の前後は道標が少なくコース通り進むのが困難だが、上の禰宜道さえ分かれば道に迷うことはない。ここから春日大社南門へ出て手向山八幡宮から東大寺大仏殿へと進むがこの間は道標がないので地図を頼りに歩くしかないが、コースを取り違えても目的地を目指せば道に迷うことは皆無であろうし、この辺りはどこを通っても歴史の道だろう。この後は細い道をうねうねと行くので道に迷うかもしれないが、逆に道標が充実しているのでコースを探し出すことができる。正倉院を半周して北上し、佐保川沿いに西進し国道369号線を越えた後般若寺の方へ北上し、奈良豆比古神社を訪れれば北上フェーズは終わりいよいよ本格的に西進することになる。

見晴らしのとてもいい黒髪橋を渡り、奈良ドリームランド沿いに南下した後、興福院長慶寺県立奈良高等学校瑞景禅寺狭岡神社と本当に細かいうねうねとした道を西進する。その後不退寺JR奈良線を渡る道まで少し北上し、ウワナベ古墳の南を西進した後、コナベ古墳磐之媛命陵の東を北上する。雨の散策では御陵の森が本コースのハイライトであり、特に磐之媛命陵沿いの石畳の小径が秀逸であった。この後ハジカミ池まで西進し平城宮跡まで一旦南下して、平城天皇陵の南を佐紀神社まで西進した後、日葉酢媛命陵の西と成務天皇陵の東をまたまた北上するがもちろんこの辺りの散策は雨が降っていても気持いい。いや雨が降っているからこその風情なのかもしれない。この後近鉄奈良線を越えると山陵八幡神社があり、神功皇后陵の西を抜けて奈良大学附属高等学校までくれば、ようやく南下するフェーズに入るがこの辺りはほぼ北西の方向に歩いていることになる。

秋篠寺の手前もわかりにくいが、奈良を歩く ゆきめぐり「西大寺、秋篠寺から御陵の森を訪ねて」にも書いた通り、秋篠町テニスコートを南下するのがポイントである。この後秋篠寺の境内を抜ければ、野神神社まで近鉄奈良線を越えて道なりに真っ直ぐ南下するのだが、秋の日は釣瓶落としで陽はとっぷりと暮れてしまった。この後は左折してしばらく西進すれば全長27Kmの「歴史の道」の一周が終わる。お疲れ様でした。

2010年10月2日土曜日

歩く・なら「葬るかたち・宮都「飛鳥藤原」西方の古墳を訪ねて」(近鉄橿原神宮前駅~近鉄飛鳥駅)

歩く・なら葬るかたち・宮都「飛鳥藤原」西方の古墳を訪ねて」(近鉄橿原神宮前駅~近鉄飛鳥駅)を歩いた。歩く・なら「橿原・明日香 明日香・藤原京へと都の歩みをたどる」(橿原コース)の後半とほとんど同じ史跡と古墳を巡るが、今回の方が、より多くの古墳を訪れるようになっており古墳好きには堪らないコースである。


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コースのスタートは近鉄橿原神宮前駅で、西口から西へ進路を取り史跡益田池堤の前を通り、新沢千塚古墳群道標を右折して、史跡新沢千塚古墳群を散策するのだが、前回とはコースが違っていて新沢千塚古墳群道標の写真に写っている建物の前を抜けて、橿原市千塚資料館へと降りる。前回よりすっきりとしたコースだがすっきりしすぎていてもう少し古墳のある丘を散策してもいいように思う。

この後西進して来た道を南へ渡り本コースのハイライトである国指定史跡新沢千塚古墳群の遊歩道を散策する。県立橿原高等学校グラウンドで遊歩道は終わり、今後史跡古墳を訪れる以外はほとんど市街地を行く。次の桝山古墳(倭彦命墓)はコースが延びるので前回のコースにはなかった目的地である。

鳥屋ミサンザイ古墳(宣化天皇陵)からは前回と同じ道を行くのかと思いきや、築坂邑伝承地石碑から、幹線道路から脇道に入り、橿原市立白橿北小学校の裏を半周するようにして前回と同じ道に戻って南進する。

白橿町案内図の次の道を右折して少し山の中にあるのでわかりにくいが、小谷古墳を訪れた後、史跡岩船から途中急な特に下るのはとても危険な山道を往復して益田岩船を廻る。

前回は沼山古墳(白橿近隣公園)を訪れた後は帰路となったが、今回は橿原市立白橿中学校までさらに幹線道路を南進した後、真弓鑵子塚古墳牽牛子塚古墳を巡る。この二つの古墳を廻る道は思いがけずも山道であり、山道から出た所には明日香村田園風景が広がっていた。

明日香村はいつきても懐かしく気持ちをなぐさめてくれる癒しの里だ。今回も山から降りてきて本当にほっとした気分を味わうことができた。この後の岩屋山古墳は石室内に入ることができるし、ここからコース中間点の近鉄飛鳥駅はすぐそこなので、疲れていても石段を登ることをお薦めする。

今回のコースは前回訪れていて土地勘があり迷うことはないと考えていたら、前回と同じ道を行くとの思い込みがあだになって道を間違えてしまった。スタート時には一気にゴールするつもりでいたのだが、コースを間違えたダメージは大きく疲れてしまい、コース中間点で時間的にも体力的にも限界がきてしまった。まあ急ぐ旅でもないので別にかまわないのだが、少し体力が落ちてきたのではないかと感じているのが一番の心配事である。