2017年9月16日土曜日

歩く・なら「大化の改新02乙巳の変、そして大化へ」

歩く・なら大化の改新02乙巳の変、そして大化へ」を歩いた。台風18号が近づきあいにくの空模様ではあるが、3連休しかブログの更新がままならないため強行する。雨では当然歩いていて楽しめる分けがないので、何度も歩いている飛鳥を選んだ。前回梅雨の時期に歩く・なら「恋する万葉集01飛鳥ルート」に歩き別の顔を見せてくれたので、雨の飛鳥がまた違った顔を見せてくれないかと期待したが実りの季節には秋の晴天が似合うようだ。しかし大化の改新で滅んだ蘇我氏の無念に思いを馳せるにはいい天気だったかもしれない。いや雨が敗者へ気持ちを持って行くよう感情移入させたのだ。晴れていたら勝者のことしか思考しなかっただろう。


地図の作成方法


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1時間でも2時間でも雨が降らないうちに歩きたいので早く出かけたが、近鉄岡寺駅を出発する時にはすでにシトシト降っていた。歩道のしっかりある奈良県道155号多武峰見瀬線を西に向かうと道路沿いには川原寺跡しかない。明日香村役場を過ぎて北へ左折すると乙巳の変のメインステージである伝飛鳥板蓋宮跡である。もう十指に余るほど訪れているが、入鹿がここで斬殺されたかと思うとまた違った感慨になる。次の目的地の飛鳥寺西門跡蘇我入鹿首塚までの道が本コースのハイライトだ。明日香村岡田園風景に黄金色に実る稲穂の波が広がり秋の晴天ならさぞかし見栄えがするだろうが、今回は低山に霧雲がかかるのを楽しむことができた。

中大兄皇子が造営した飛鳥水落遺跡を訪ねた後、飛鳥坐神社から主人公の母である大伴夫人の墓小原の里もある大原の里-藤原鎌足の誕生地-を往復すると怖れていた雨が本降りになってきたが山沿いは降雨量が多いだけで事なきを得た。次に飛鳥資料館から山田寺跡を往復する。何故山田寺跡まで足を伸ばすのか案内板を読んでもわからなかったが、乙巳の変のバイプレーヤーである石川麻呂の発願だった。この後は西進するが飛鳥石板地図の辺りも明日香村の穀倉地帯が広がり眺望の良い絶景ポイントだがまあ仕方ない。この後飛鳥川雷橋を渡り定番の和田池から石川池(剣池)を巡り近鉄橿原神宮前駅にゴールするが、剣池案内板が平家物語の「おごれる人も久しからず」を思い起こすのも涙雨の恩恵だろう。