なぜ穴が開いているのだろう。
石碑の文字も古い書体で書かれているので読めない。
ここは近鉄富雄駅から富雄川沿いに北へ2Km程度行った東側にある杵築神社である。「きねつき神社」ではない。「きずき神社」と読む。奈良の都わすれさんによると、祭神は主神が素盞鳴命すさのをノみことで、相殿に天忍穂耳命あめノおしほみみノみことと市杵島姫命いちきしまひめノみことである。気づかなかったが役行者の石像もあるとのこと。
家に帰ってきてから何て書いてあるのか写真をじっくり見ていたら遥拝所ではないかと思い付き、遥拝を辞書で調べたら、「遠く離れた所から神仏などをはるかにおがむこと」であった。これで穴が開いている理由もわかった。この穴は神仏を拝む方向を指し示しているわけだ。遥拝所は本殿の南側で、穴の方向も南の方角だったと思うがうろ覚えだ。穴が開いている理由はわかったが一体何を拝むのだろうか。新たな疑問である。役行者の石像も見たいのでもう一度行くしかないか。
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2007年9月2日日曜日
2007年8月26日日曜日
鳥見第4号児童公園
今回は手すりが全くない。公園のまん中であるがこの先はすべり台だろうか。
予想に反して、まん中が階段であった。しかし両サイドの遊具まで含めるとすごい幅のすべり台と言える。これだけ幅広のすべり台はめずらしいのではないだろうか。
地形を利用したすべり台を初めて見たのは鳥見第6号児童公園であった。歩いていて突然すべり台になるのはあぶないと思うのだが、住宅都市整備公団富雄団地にも書いたようにこの辺りではやはり当たり前のようである。
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予想に反して、まん中が階段であった。しかし両サイドの遊具まで含めるとすごい幅のすべり台と言える。これだけ幅広のすべり台はめずらしいのではないだろうか。
地形を利用したすべり台を初めて見たのは鳥見第6号児童公園であった。歩いていて突然すべり台になるのはあぶないと思うのだが、住宅都市整備公団富雄団地にも書いたようにこの辺りではやはり当たり前のようである。
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2007年8月19日日曜日
住宅都市整備公団富雄団地
2007年8月12日日曜日
鳥見第6号児童公園
公園の行く手に突然現れた。
左右には階段があるようだが中央の手すりはあまりにも間隔が開き過ぎている。
これでは、向こう側に落ちるとあぶない。
ここは鳥見第6号児童公園である。先々週に紹介した鳥見第5号児童公園から鳥見通りを南側に越えた所にある。公園の半分は丘になっており木々が豊かに茂っている。奈良市は昨日に続き今日も猛暑日だったが、木陰に入るとかなり落ち着く。
これも地形を利用した一種のすべり台だった。鳥見第5号児童公園同様登るためのチェーンもついておりなかなかしゃれた作りである。しかし普通すべり台をすべるには階段を登らなければならないのに、公園を普通に歩いて行くと突然すべり台をすべってしまうのはいただけない。この先はすべり台の立札があってもいいのではないだろうか。
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左右には階段があるようだが中央の手すりはあまりにも間隔が開き過ぎている。
これでは、向こう側に落ちるとあぶない。
ここは鳥見第6号児童公園である。先々週に紹介した鳥見第5号児童公園から鳥見通りを南側に越えた所にある。公園の半分は丘になっており木々が豊かに茂っている。奈良市は昨日に続き今日も猛暑日だったが、木陰に入るとかなり落ち着く。
これも地形を利用した一種のすべり台だった。鳥見第5号児童公園同様登るためのチェーンもついておりなかなかしゃれた作りである。しかし普通すべり台をすべるには階段を登らなければならないのに、公園を普通に歩いて行くと突然すべり台をすべってしまうのはいただけない。この先はすべり台の立札があってもいいのではないだろうか。
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2007年8月5日日曜日
2007年7月29日日曜日
2007年7月22日日曜日
鹿ノ台中央公園
2007年7月15日日曜日
平城4号近隣公園
一面蓮の池である。元々池があった所に公園を作り蓮を植えたのだろう。
それとも蓮が群生している池だったから公園にしたのだろうか。
ここは平城4号近隣公園である。上の写真は北側の池である。
蓮の花は開花時期を迎えており、北側の池に咲く蓮は全て桃色であった。もっと季節が進めば一面桃色に染まる程咲き乱れるのだろうか。そうなれば壮観だろう。
対して下の写真は南側の池に咲く蓮なのだが、全て黄色である。黄色の花が咲く蓮は種類が違うのだろうか。南側の蓮は池を覆うほどには繁殖せず、池の隅2ヶ所だけでひっそりと咲いている。
一番左に写っている蓮が一番きれいに咲いていた。もっとアップで撮りたかったのだが、そのためには柵を越えなくてはならないので断念した。蓮の花は被写体としては格好である。近寄ってローアングルで撮りたい。そのためには上から覗き込んで撮れるアングルファインダーが必須のようなって、一眼レフも持ってないのに......
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それとも蓮が群生している池だったから公園にしたのだろうか。
ここは平城4号近隣公園である。上の写真は北側の池である。
蓮の花は開花時期を迎えており、北側の池に咲く蓮は全て桃色であった。もっと季節が進めば一面桃色に染まる程咲き乱れるのだろうか。そうなれば壮観だろう。
対して下の写真は南側の池に咲く蓮なのだが、全て黄色である。黄色の花が咲く蓮は種類が違うのだろうか。南側の蓮は池を覆うほどには繁殖せず、池の隅2ヶ所だけでひっそりと咲いている。
一番左に写っている蓮が一番きれいに咲いていた。もっとアップで撮りたかったのだが、そのためには柵を越えなくてはならないので断念した。蓮の花は被写体としては格好である。近寄ってローアングルで撮りたい。そのためには上から覗き込んで撮れるアングルファインダーが必須のようなって、一眼レフも持ってないのに......
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2007年6月30日土曜日
一面水の華の奥山田池
一面緑色で覆われている。かなり不気味だ。
アオコかと思ったが違うようだ。
微小な藻類が高密度に発生し水面付近が変色する現象を水の華と呼んでいる。淡水域における浮遊性藍藻や緑藻、ユーグレナ藻の大発生を指すことが多いとのこと。どちらにしても赤潮同様いい現象ではないらしい。よくないことなのに、またどうみてもきれいとは思えないのに華と名付けたのだろうか。
ここは押熊交差点から南西方向の奥山田池である。上の2枚の写真を撮った池の北側は道が整備されており散策することができる。ならやま大通りからすぐなのに閑静できれいな池だったのに残念である。春先の水温の上昇とともに発生しやすい現象とのことなので早くきれいな奥山田池に戻って欲しい。
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2007年6月23日土曜日
北大和近隣?公園
さわやかな高原を、しかも秋の高原を感じてしまった。
ゆるやかな斜面に芝生が整備されており、子供が斜面すべりをするにはもってこいである。
確かに下の写真にあるように、生駒市北大和の公園であるのだが、公園の名前を記した石碑がない。(奈良市のように無粋な金属の看板ではなく、生駒市は小さいが石碑を立てている。)公園をくまなく探したわけではないので、ひょっとすると見逃しているかもしれないが。
看板の向こうに見えているのは、近鉄けいはんな線学研奈良登美ヶ丘駅の車庫である。遠目でしか見ていないが、レールが錆びておりまだ使用していないようだ。古都を舞う天女が描かれている登美ヶ丘駅は車庫のすぐ向こうである。
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ゆるやかな斜面に芝生が整備されており、子供が斜面すべりをするにはもってこいである。
確かに下の写真にあるように、生駒市北大和の公園であるのだが、公園の名前を記した石碑がない。(奈良市のように無粋な金属の看板ではなく、生駒市は小さいが石碑を立てている。)公園をくまなく探したわけではないので、ひょっとすると見逃しているかもしれないが。
看板の向こうに見えているのは、近鉄けいはんな線学研奈良登美ヶ丘駅の車庫である。遠目でしか見ていないが、レールが錆びておりまだ使用していないようだ。古都を舞う天女が描かれている登美ヶ丘駅は車庫のすぐ向こうである。
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2007年6月16日土曜日
緑地は自然にまかせて(神功四丁目緑地)
文字通りの草茫々である。緑地と言えば花博のあった鶴見緑地をイメージするのだが。
ここは神功四丁目緑地である。上の写真も下の写真もリンク先のMapFanWebの中心点から撮っている。上の写真は南南東の方向、地図上ではより濃い緑色になっている所である。この円形部分は完全に人の手を入れないようだ。
でも下の写真は東北東の方向、すなわち地図上では道となっている部分なのであるが、これでは散歩する気になれない。誰も訪れないなら金を使って管理する必要はないので本当の自然に還した方がいいのではないだろうか。
奈良市の緑地とは草木が自然に繁殖する場所と言う意味なのだろうか。それなら蒼池も緑地にして欲しい。
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ここは神功四丁目緑地である。上の写真も下の写真もリンク先のMapFanWebの中心点から撮っている。上の写真は南南東の方向、地図上ではより濃い緑色になっている所である。この円形部分は完全に人の手を入れないようだ。
でも下の写真は東北東の方向、すなわち地図上では道となっている部分なのであるが、これでは散歩する気になれない。誰も訪れないなら金を使って管理する必要はないので本当の自然に還した方がいいのではないだろうか。
奈良市の緑地とは草木が自然に繁殖する場所と言う意味なのだろうか。それなら蒼池も緑地にして欲しい。
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2007年6月10日日曜日
あった!押熊瓦窯跡
探しているわけではなかったが、偶然発見した。まゆみは檀で気になっていた押熊瓦窯跡だ。
グーグル検索するとまゆみは檀が第2位になっている。それだけ無名なのだろう。よく見つかったものだ。神功六丁目緑地の中に入っていって正に発見したという感覚だ。奈良市は公園及び緑地の看板を必ずといっていいほど立てているのだが、表の道にある看板にはいつも通りの内容しか書かれていなかった。もう少し案内があっていいのではないだろうか。窯跡は緑地の北東のはずれにあり、緑地の西側から緑地を迂回していけるようにもなっているが、わずかに案内があるのは緑地の北西に「高の原古道」の道標があるのみである。この道標も緑地の奥の方なので、当然表通りからは見えない。
説明板によると奈良の都には多くの瓦を焼く窯があった。グーグル検索で1位のUR都市機構 関西文化学術研究都市事業本部 歴史街道Wa.4により詳しい説明があり、多くの窯が必要なのは多くの瓦が必要であったということだ。
1枚目の写真を見てもわかるように、金をかけて復元したにもかかわらず管理は杜撰である。鉄格子にして中に入れないようにしているのだが、この小屋つけられているドアの鍵が開いていた。あまり人が来ないように案内も出していないのだろうか。
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2007年6月2日土曜日
まゆみは檀(万葉の小径)
草ボウボウで案内の文字が見えないが、ここは石のカラト古墳に隣接する「万葉の小径」である。
万葉に詠まれている植物を実際に植えてあり、そこに歌の解説をした陶版が設けられている。
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
ぐらいしか知らないので、退屈ではあるが我慢して読めば万葉人の心に触れることができるすばらしい公園である。しかしご覧の通り陶板も草木に覆われているし、全ての植物にネームプレートを立ててあったと思うのだが、ネームプレートがなかったり、ひどい所はどう見てもネームプレートだけあって肝心の植物がなかったりする。
かなりの数の植物と歌が紹介されているし、また歌だけでなく万葉時代の歴史や人々の生活についても学べるようになっているのに、返す返すも植栽が荒れているのが残念である。あまり評判がよくないのか、「万葉の小径」で、グーグル検索して上位に出てくるホームページは他の場所の情報ばかりである。奈良県の公園なのか奈良市の公園なのかもちょっと調べただけではわからなかった。まさか昭和54年(1979年)のニュータウン建設当時に住宅開発業者が造成したのではないと思うが。また、東の石のカラト古墳はすぐわかるのだが、西の押熊瓦窯跡はどにあるのだろう。
女の子の名前のまゆみは真弓から来ているとは思っていたが、真弓はまゆみの木から作っていたとは驚いた。万葉の時代からまゆみは正統な由緒正しい女の子の名前なのだろう。
南淵の 細川山に 立つ檀 弓束纏くまで 人に知らえじ
純朴な万葉人の恋心が感じられ、万葉の小径で一番感動した。
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万葉に詠まれている植物を実際に植えてあり、そこに歌の解説をした陶版が設けられている。
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山
ぐらいしか知らないので、退屈ではあるが我慢して読めば万葉人の心に触れることができるすばらしい公園である。しかしご覧の通り陶板も草木に覆われているし、全ての植物にネームプレートを立ててあったと思うのだが、ネームプレートがなかったり、ひどい所はどう見てもネームプレートだけあって肝心の植物がなかったりする。
かなりの数の植物と歌が紹介されているし、また歌だけでなく万葉時代の歴史や人々の生活についても学べるようになっているのに、返す返すも植栽が荒れているのが残念である。あまり評判がよくないのか、「万葉の小径」で、グーグル検索して上位に出てくるホームページは他の場所の情報ばかりである。奈良県の公園なのか奈良市の公園なのかもちょっと調べただけではわからなかった。まさか昭和54年(1979年)のニュータウン建設当時に住宅開発業者が造成したのではないと思うが。また、東の石のカラト古墳はすぐわかるのだが、西の押熊瓦窯跡はどにあるのだろう。
女の子の名前のまゆみは真弓から来ているとは思っていたが、真弓はまゆみの木から作っていたとは驚いた。万葉の時代からまゆみは正統な由緒正しい女の子の名前なのだろう。
南淵の 細川山に 立つ檀 弓束纏くまで 人に知らえじ
純朴な万葉人の恋心が感じられ、万葉の小径で一番感動した。
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2007年5月26日土曜日
たんぽぽの群生地(石のカラト古墳)
これだけ一面にたんぽぽが咲き乱れているのも見るのは初めてかもしれない。
ここは奈良市神功町1丁目緑地である。何故ここを訪れたかはコンクリートブロックの御祭壇で、忍熊王子と籠坂王子の仇敵である神功皇后の名前を冠した地名に興味を持ったからである。地図をみると最も興味深い所がここであった。
緑地ができたのは、1978年(昭和53年)に住宅開発中に石のカラト古墳が見つかったからである。前方後円墳でなく上段が円形(直径約9.2メートル)下段が方形(一辺約13.8メートル)の上円下方墳とのこと。誰のお墓かはわからないが奈良時代初めの貴族の墓である。なんでカラトなのかというと石室が唐柵に似ているからだというが、唐柵が何であるかは、Google検索しただけではわからなかった。
上の写真は古墳の下方を西南の方向から撮影したのだが、上円下方になっているのがおわかり頂けるだろうか。実はこの古墳は奈良市と京都府木津川市の境界上に存在するので北側は京都府木津川市兜台2丁目になっており、木津川市側は石のカラト古墳緑地と命名されている。下方の北西側から撮影したのが下の写真だが草ぼうぼうである。
古墳が発見されたからといって県境が変更されるわけもなく、県境に沿って奈良市と木津川市が別々に緑地の管理をしているため、整備した時期の差がそのまま草の成長の差になっているのだろうか。草ぼうぼうでも緑地なのだからかまわないとでもいうのだろうか。国の史跡名勝天然記念物に指定されているのだからもう少し整備して欲しい。
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ここは奈良市神功町1丁目緑地である。何故ここを訪れたかはコンクリートブロックの御祭壇で、忍熊王子と籠坂王子の仇敵である神功皇后の名前を冠した地名に興味を持ったからである。地図をみると最も興味深い所がここであった。
緑地ができたのは、1978年(昭和53年)に住宅開発中に石のカラト古墳が見つかったからである。前方後円墳でなく上段が円形(直径約9.2メートル)下段が方形(一辺約13.8メートル)の上円下方墳とのこと。誰のお墓かはわからないが奈良時代初めの貴族の墓である。なんでカラトなのかというと石室が唐柵に似ているからだというが、唐柵が何であるかは、Google検索しただけではわからなかった。
上の写真は古墳の下方を西南の方向から撮影したのだが、上円下方になっているのがおわかり頂けるだろうか。実はこの古墳は奈良市と京都府木津川市の境界上に存在するので北側は京都府木津川市兜台2丁目になっており、木津川市側は石のカラト古墳緑地と命名されている。下方の北西側から撮影したのが下の写真だが草ぼうぼうである。
古墳が発見されたからといって県境が変更されるわけもなく、県境に沿って奈良市と木津川市が別々に緑地の管理をしているため、整備した時期の差がそのまま草の成長の差になっているのだろうか。草ぼうぼうでも緑地なのだからかまわないとでもいうのだろうか。国の史跡名勝天然記念物に指定されているのだからもう少し整備して欲しい。
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2007年5月19日土曜日
コンクリートブロックの御祭壇(忍熊王子と籠坂王子の旧蹟地)
何とも寂しい御祭壇である。もう少し何とかならないのだろうか。
ここは忍熊王子と籠坂王子の旧蹟地である。
鳥居と石碑さらには左に立てられている旧蹟地を説明している立札も立派なのだが。
ビニールをかぶせてあるので、光がどうしても反射してうまく撮れなかった。
説明によると押熊町の由来は忍熊王子がかつてこの地を支配していたことによる。カゴ池とカゴ坂は籠坂王子にちなんで名付けられたのだそうだ。カゴ池は地図に載っているのでわかるのだが、カゴ坂はどこにあるのだろう。ちなみにカゴ池の地図の中央の右の名前のない神社が忍熊王子と籠坂王子の旧蹟地になる。
地図を見て頂くとわかるが、異母兄弟の応神天皇をお祀りしている押熊八幡神社の敷地内に旧蹟地があるように見える。またならやま大通りを渡ってしばらく東に行った所(押熊交差点の北東部)の地名が、二人の王子の仇敵である神功皇后由来の地名となっているのも何とも因縁めいている。
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ここは忍熊王子と籠坂王子の旧蹟地である。
鳥居と石碑さらには左に立てられている旧蹟地を説明している立札も立派なのだが。
ビニールをかぶせてあるので、光がどうしても反射してうまく撮れなかった。
説明によると押熊町の由来は忍熊王子がかつてこの地を支配していたことによる。カゴ池とカゴ坂は籠坂王子にちなんで名付けられたのだそうだ。カゴ池は地図に載っているのでわかるのだが、カゴ坂はどこにあるのだろう。ちなみにカゴ池の地図の中央の右の名前のない神社が忍熊王子と籠坂王子の旧蹟地になる。
地図を見て頂くとわかるが、異母兄弟の応神天皇をお祀りしている押熊八幡神社の敷地内に旧蹟地があるように見える。またならやま大通りを渡ってしばらく東に行った所(押熊交差点の北東部)の地名が、二人の王子の仇敵である神功皇后由来の地名となっているのも何とも因縁めいている。
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2007年5月12日土曜日
押熊八幡神社
社殿の向こうに鳥居が見える。参道を入る前にももちろん鳥居はあった。
この社殿はおもしろい造りである。お参りするのに通るのだが、こんな社殿を通ってお参りする神社はめずらしい。ちなみに左の机の上で参拝の記帳ができる。
二つ目の鳥居を抜けていよいよ本社殿であると思ったら違っていた。
本社殿はさらに大きな社殿で覆われているのであった。
ここは押熊八幡神社である。近辺には旧家が多く古くから栄えていたのでろう。素晴らしいお社である。
しかし全国の八幡神社は全て応神天皇をお祀りしているとは知らなかったし、応神天皇が神功皇后の子供であることも知らなかった。応神天皇は仲哀天皇と神功皇后の子供であるが異母兄に忍熊皇子と籠坂皇子がおり、後継者争いがあったようだ。
近くに二人の皇子の旧蹟地があり、質素ではあるが塚が祀られている。
押熊町は忍熊皇子ゆかりの地ということのようだ。御岳教といい、歴史どころか神代の御代の痕跡を垣間見ることができるなんて、さすがやまとまほろばである。
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2007年5月5日土曜日
コックピット(北登美ヶ丘4号街区公園)
子供の頃の夢は何といってもパイロットである。
操縦桿ではなくハンドルなのが残念である。
しかし、実にすばらしい公園の遊具ではないだろうか。
ここは北登美ヶ丘4号街区公園で、割と最近できた街である。
よく見ると飛行機の一部がすべり台となっている。
奈良市公園のすべり台は実にユニークだ。
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2007年4月29日日曜日
学園前駅徒歩5分の・・・・
学園前駅徒歩5分とはとても思えない完全に自然の風景である。
実はここは元々は池のようである。
しかし、どう見ても池の痕跡が見い出せない。
MapfanWebでも緑地状態なので、ほとんど貯水することがないのではと思ってしまう。
上の写真は駅から遠い方なので徒歩7分ぐらいかかるが、下の写真は駅に近い方なので、本当に徒歩5分で来れる場所である。駐車場の関係でフェンスが2個あるのだが、そのどちらにも池の名前を記した木製の(多分ハンドメイド)プレートがかかっている。
近所の人が(自治会活動かも)「ここは池なんだよ、忘れないでね。」という思いを込めて、プレートを作っているような気がしてしょうがない。
奈良は元々池が多く、散歩していてもすぐ池があるのだが小さな池の名前が表示されていることは滅多にない。だからいつも池の名前は愛用しているMapFanWebで調べているのに、ここは本当にめずらしい。
大雨の時には貯水池になるのかも知れないが、大雨対策を十分にして何とか公園にできないのだろうかと思う程、豊かな自然である。
蒼池や
池になったら
大洪水
これでは蒼池がかわいそうだ。
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2007年4月21日土曜日
かわいい龍王様(龍王神社)
最初は鳥かと思ったのだが、よく見ると「へび」の置き物だった。
由緒は不明であるが、元禄の古地図に中山龍王として記載されており、創建は300年以上前とのことである。写真の龍王様は本社殿前の燈篭横に飾られていた。二重の金網で逃げないようにしている所が何とも微笑ましい。
鳥居は立派であり、本社殿までの山道は静かで趣きがある。
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2007年4月14日土曜日
大渕池公園の回転扉
この回転扉を使う人は滅多にいないだろう。
丁寧に使い方を書いている所が何ともおかしい。
この回転扉はブログのトップページの画像に使っている行き先案内板の右矢印の大渕池公園体育館がある奈良県大渕池公園東地区北口ゲートに使用されている。
ちなみに行き先案内板の左矢印も大渕池公園となっているのは、大渕池公園は大渕池をはさんで東と西に分かれているからである。大渕池北の緑地と大渕橋南詰めの展望台も大渕池公園の一部とは知らなかった。
この時計台には驚かされた。時計のある石柱だけでなく、うまく撮れていないが他にも背の低い石柱がありなかなか風情のある花壇となっている。この時計台は回転扉のある北口ではなく、南側のメイン入り口を入ってすぐに設置されている。今まで何度も来ているが何を見ていたのだろうか。人間の目は見ているようで全然見ていないことが多々ある。
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2007年4月8日日曜日
空を翔る大黒様(御嶽山大和本宮)
何とも不思議な御神像である。
なぜ大黒様が鳥に乗っているのだろうか。
当然のことながら、ただの鳥ではない。金鵄である。神武天皇を助けた鳥は八咫烏だけではない。金鵄はきんしと読み金色のとびのことであり、神武天皇の東征に際して、長髄彦(ながすねひこ)征伐の際に弓の先に止まって天皇の軍を助けたという。
御神像は御嶽山大和本宮の神滝の上に祀られており、金鵄大黒天という。大和本宮が神武天皇の御東征を勝利に導いた金鵄にゆかりある神苑であるという由緒を尊んでのことであるが、なぜ大黒様なのだろう。
危険なので許可がいるが、神滝では瀧行にて心身の潔斎ができるようだ。ちなみに今日は滝の水は枯れていて流れていなかった。申し込んだ時だけ流れるのかもしれない。今まで両手で余るほど大和本宮は訪ねており、知らない神域はないと思っていたが、神滝を見るのは初めてなので真偽の程は定かではない。山の方に御神像は多くあり、神武天皇像もあるのだが、何故神武天皇像があるかの疑問も氷解した。
しかし、今まで何故神滝を見つけられなかったのだろうか。山から下りた所からまた山の方へ戻った奥の方にあるため、神滝の方へ足を向けない限り死角になって見えないのではあるが。このことから、山を削って作った人工の滝のような気がして仕方がない。
御嶽山とは木曽節で有名なあの御岳山で、日本古代から山岳信仰で現在は御岳教として活動している。
木曽のナーなかのりさん 木曽の御嶽ナンチャラホイ 夏でも寒いヨイヨイヨイ
袷(あわしょ)ナーなかのりさん 袷やりたやナンチャラホイ 足袋ょ添えてヨイヨイヨイ
信州に大元の本宮があって、大和本宮は奈良県の本宮かと思っていたが、役の行者が開祖の修験道と御岳山が結びつき、役の行者の出身である大和の地に本宮が出来ているらしい。ちなみに、木曾には御岳教木曾大教殿がある。
御岳山大和本宮は地元では桜の名所である。桜の頃には花見でにぎわい、桜が満開になる土日には桜まつりも開かれている。実は桜を撮りに行ったのであるが、思わぬ発見をした。
池にも名前があった。和楽の神池という。ちなみに橋は和楽の橋である。
御岳山信仰は今でも隆盛を極めている。
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