2011年12月30日金曜日

奈良ウォーキングマップベストセレクション 4.奈良公園麗しの飛火野コース

奈良ウォーキングマップベストセレクション 4.奈良公園麗しの飛火野コースを歩いた。奈良ウォーキングマップベストセレクション 4.奈良公園見所たっぷりコースとの兄弟コースであり、両コースを歩けばほぼ奈良公園を踏破したことになる。兄弟コースが東大寺をメインに公園北部を巡るのに対し、本コースは奈良公園第二の観光名所である春日大社をメインに公園南部を巡る。本コースのベストシーズンはピンポイントであり、鹿苑で鹿の角きりが行われる体育の日(10月の第2月曜日)を含む3連休だろう。


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コースのスタートは県庁前バス停で、まずは奈良国立博物館を目指し東進する。鴎外の門を抜けて進路を南にとり、丸窓亭を横目で見ながら、新しくなった蓬莱橋を渡り浮見堂を訪れる。橋が白く新しいので印象がかなり違うのだが木はすぐに古色蒼然となりいい味わいになるだろう。安全のため定期的に修理するのは仕方ない。

この後奈良公園から離れて、入っていくのをためらうホテルの駐車場に入口がある頭塔を訪れる。入場するには事前予約が必要なのが平城遷都1300年を記念に春と秋の行楽シーズンには予約不要の特別公開が行われている。奈良時代の怪僧玄昉の逸話の残る構造的にもとてもユニークな塔なので是非とも特別公開を続けて欲しいものだ。

その後も高畑町を歩き奈良市写真美術館から新薬師寺を巡り、本コースのハイライトである上の禰宜道を登り春日大社を参拝する。毎年ニュースになる恒例の角きりが行われる鹿苑は春日大社表参道から鷺原道へ入ってすぐの春日大社神苑萬葉植物園の手前にある。そして本コースのゴールはかなりユニークで、駅でもバス停でもない本コースのタイトルとなっている飛火野である。近鉄奈良駅まで歩いても何のことはないが最寄のバス停は大仏前交差点から南に続く車道で飛火野に隣接している春日大社表参道バス停となる。

2011年12月17日土曜日

奈良ウォーキングマップベストセレクション 8.古都を守る像 柏木コース

奈良ウォーキングマップベストセレクション 8.古都を守る像 柏木コースを歩いた。奈良ウォーキングマップ其の弐 8.唐招提寺からはじまるのんびり京終コースの焼き直しであるが、こちらの方が奈良市にもこんなに田園風景が広がる所があるのかをまざまざと実感させてくれるより一層のんびりしたコースだ。実際未舗装の畦道がふんだんに取り入れらているウォーキングにはもってこいのコースである。


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コースのスタートは近鉄西ノ京駅で、西ノ京定番の唐招提寺まで足を伸ばさずに薬師寺玄奘三蔵院伽藍を半周して、奈良自転車道を南下する。奈良自転車道は秋篠川東岸に敷設されているのだが、最近は西岸も秋篠川周遊コースとして整備されている。

西の京病院から佐保川岩井川合流地点までが本コースのハイライトで広大な田園風景の中の畦道を歩く。そのまま岩井川を東進するのではなく、辰市神社まで南下した後、南部生涯スポーツセンターの東から東進する。

このまま奈良ウォーキングマップ其の弐 8.唐招提寺からはじまるのんびり京終コース同様に岩井川五重橋緑地を歩きたいところだが、本コースは大安寺へお参りするために北上した後折り返し、赤い灯篭が鮮やかな元岩清水八幡宮八幡神社参詣道を西進したらまたのんびりと畦道を歩くことになる。

最後は再び佐保川を渡って北上し、本コースのサブタイトルとなっているまもろう如来像(まもろう君)が安置?されている奈良市消防局奈良市防災センターへゴールする。奈良県のメインストリートの国道24号線がすぐそこなのだがバスの便は以外に少ない。しかし柏木町交差点の近くは多くのお店が集まっていて時間調整に困ることはないだろう。

2011年12月10日土曜日

奈良ウォーキングマップベストセレクション 4.奈良公園見所たっぷりコース

奈良ウォーキングマップベストセレクション 4.奈良公園見所たっぷりコースを歩いた。奈良ウォーキングマップ③奈良公園見所たっぷり中級者コースを少しアレンジしているだけだが、こんな所に道があったのという渋い道もあった。今年は色づきが遅いので奈良を歩く ゆきめぐり「奈良公園紅葉めぐり」と同様に紅葉狩りを期待して歩いたのだが、落葉は遅くならないようでイチョウはほとんど落葉していたのが残念である。しかしカエデはまだまだ見頃の木も多いし、鮮やかな黄色や紅色の絨毯を十二分に楽しめた。また暦通りの寒さとなってしまったが、晩秋の古都奈良の風情を満喫できて大満足だ。


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コースのスタートとゴールは県庁前バス停で、まずは依水園から東大寺戒壇院を抜けて、大仏池から東大寺転害門を往復する。この後五劫院まで足を伸ばすのだが、「歴史の道」でさんざん歩いたのにこんな立派なお寺があるとは全く気づかなかった。

堤が美しい佐保川で折り返して、東大寺大仏殿裏から奈良公園一押しの東大寺裏参道を歩いて、東大寺二月堂から古都奈良の眺望を楽しむ。この後の道がわかりにくかったが、東大寺が歩行禁止している車道なので曲がりくねった坂道を東大寺鐘楼を経由して東大寺相輪まで下る。

この後、春日野園地を斜めに縦断し、奈良国立博物館なら仏像館の北側を半周してゴールするのだが、旧名が奈良国立博物館本館だった奈良国立博物館なら仏像館に沿って歩く道があったとは驚きだ。

2011年12月3日土曜日

奈良ウォーキングマップベストセレクション 3.ならまち民話めぐりコース

奈良ウォーキングマップベストセレクション 3.ならまち民話めぐりコースを歩いた。ならまちは奈良ウォーキングマップ⑥ならまち散策コース奈良を歩く ゆきめぐり「江戸・明治時代の町並みを今に伝える ならまちじっくり3時間コース」奈良を歩く ゆきめぐり「江戸・明治時代の町並みを今に伝える ならまち早回り2時間コース」などでさんだん歩いたが、ならまちを隈なく歩いたわけでもなく、本コースで新しいしかもしぶい道を歩くことができてとてもよかった。コース名のテーマ通りに逸話が残っている旧所名跡をめぐり、かなりしぶい目的地を選択してるのもおもしろい。


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コースのスタートとゴールは県庁前バス停であり、まず中金堂再建工事が続く興福寺の境内を三重塔まで遠回りした後、最初の目的地で悲話の残る采女神社を参拝する。ここから次の目的地で地名の由来となった子守明神の異名を持つ率川神社へ向かう道がならまちにはめずらしく曲がりくねっていておもしろい。しかも風情のある石畳に覆われている。

大通りをそのまま南下すれば率川神社のすぐ南に秘仏が有名な傳香寺があるが、本コースは小路をジグサグに繋いで歩き、十念寺を左に見て東進し奈良市音声館を右に見て次の目的地で中将姫の生誕地とされる誕生時まで南下した後、その次の目的地のならまち格子の家を訪れるために進路を東にとる。

ならまち格子の家で一旦折り返し、次の目的地で身代わり猿が有名な庚申堂から奈良町資料館奈良町物語館を抜け奈良町情報館まで北上し、その次の目的地でならまちの元となった元興寺を南下して十輪院を東進して、再び興善寺で折り返し、重要文化財今西家書院を東進した後、少しコースからはずれるが少しそのまま東へ足を伸ばせば福智院がある。

最後の目的地の旧大乗院庭園後もぐねぐねと小路を行き、奈良市ならまちセンターを北上せずに西進して猿沢池を半周し、五十二段ある階段を登って再度興福寺の境内を歩いてゴールする。

2011年11月26日土曜日

歩く・なら「白泡の玉と響く、美しき清流・宮滝へ」

歩く・なら白泡の玉と響く、美しき清流・宮滝へ」を歩いた。宮滝歩く・なら「持統天皇行幸の道」(近鉄大和上市駅~宮滝バス停)で訪れて、紅葉の頃に是非とも再度歩きたかった。しかし吉野の山は吉野杉が代表の常緑樹が多く落葉する広葉樹は少ないようだ。本コースは象の小川沿いを往復するし、宮滝では川遊びを楽しめるのでベストシーズンは涼を求める夏のようである。心地良いせせらぎの音を聞きながら軽快に歩くことがメインだが、吉野離宮だけではなく古代遺跡のあった宮滝を巡る本コースは歴史ロマンも満喫できるだろう。


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コースのスタートとゴールは宮滝バス停である。バスの本数は極端に少ないので帰りのバスの待ち時間を調整するために最初の目的地の吉野歴史資料館を後で回ったのだが、吉野歴史資料館の前にある宮滝遺跡周辺図がなかなか良く出来ていて、宮滝の様子がよくわかるのでコース通りに最初に訪れるのがいいかもしれない。吉野歴史資料館に向かう途中にある「倭人堂」雷神も必見である。

コース通りに行くと、宮滝遺跡から史跡 宮滝遺跡を巡り、コース一番の風光明媚となる宮滝 夢のわだだ。この後うたたね橋跡から山へ分け入るようになるが平地を歩くのと変わらないほど緩やかである。桜木神社から象の小川沿いに歩く本コースのハイライトであり、万葉の象の小川で折り返すのだが、勾配のある山道だがほんの少しなので是非ともプラスαの高滝まで足を伸ばしたい。一見の価値はあるなかなか立派の滝だ。吉野方面案内図の傍には風情のある雪隠があるので、桜木神社は帰り道に時間をかけて散策するのがいいかもしれない。

2011年11月12日土曜日

奈良ウォーキングマップベストセレクション 9.大渕池公園周辺コース 二名編

奈良ウォーキングマップベストセレクション 9.大渕池公園周辺コース 二名編を歩いた。奈良ウォーキングマップ⑩県立大渕池公園横断コースを拡充して二名まで足を伸ばしたコースである。地元のためコース周辺の道は隈なく歩いてよく知っているのだが、こんな所に道があったけと思い出せない細く気づきにくい道をわざわざ選んでいる所がおもしろい。このブログを書き始める切っ掛けになったのが夕陽に輝く大渕橋であり、久々に歩くと色々と変化もあっておもしろい。大渕池公園は四季を通じて楽しむことができるが、ハイライトはやはり御嶽山大和本宮で桜まつりが行われれる頃だろう。


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コースのスターととゴールは大渕池公園(東地区)で近鉄学園前駅から十分なバス便が出ているのに、次の目的地が西登美ヶ丘一丁目バス停になっているのは、コースは周遊コースのためよりバスの便数が多い西登美ヶ丘一丁目バス停を紹介しているのだろうか。大渕池公園(東地区)は駐車場も充実しているので、車で行ってもいい。

この後本コースの特徴となる二名へ足を伸ばし、奈良市立二名小学校奈良市立二名公民館が目的地となっている。しかし富雄川近くまで降りるのであれば、遥拝所役行者石像のある杵築神社は見逃せないし、本堂が新築された法融寺も参拝したい。

次の目的地は桜が有名な御嶽山大和本宮だが、本宮内には空を翔る大黒様など彫像やお社が目白押しで十二分に楽しめる。その次の目的地の大渕池公園(西地区)の裏口から入って公園内を歩くのがお奨めであるが、コース通り歩くととうとう大渕池の水没した木が倒れているのを発見してしまった。冬の渇水期を除いて水没しているのによく根腐りしないと関心していたのに残念である。

この後夕陽に輝く大渕橋を渡って、最後の目的地である松伯美術館訪ねる。女性美人画の上村松園と花鳥画の松篁・淳之三代の絵画だけでなく元が近鉄会長の大邸宅であり庭園も必見である。この辺りが登美ヶ丘の前に何もつかない真正の登美ヶ丘であり誰もが羨む大邸宅街を抜けてゴールする。

2011年10月8日土曜日

大和郡山市観光モデルコース「自然豊かな矢田丘陵」

大和郡山市観光モデルコース自然豊かな矢田丘陵」を歩いた。矢田山遊びの森の矢田の道と歴史の道のほとんどを歩く。標高から言って矢田山系でいいじゃないかと思うのだが、矢田丘陵と言われる由縁は、矢田の道はまるでなだらからな丘を行くが如く高低差の少ない遊歩道が続くからだろう。矢田の道は歩く・なら「世界遺産へとつづく自然と歴史の回廊・矢田丘陵と斑鳩の里」で、矢田越えの道は生駒の散歩道「松尾山コース」(矢田山遊びの森 矢田越えの道)で矢田丘陵の素晴らしさを堪能していて、歴史の道を歩くのは初めてであったが、まるで山の辺の道を歩いているようで楽しかった。矢田丘陵は四季折々の自然を満喫できて、何度訪れても飽きることがない。


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コースのスタートは松尾寺口バス停である。近鉄大和郡山駅とJR大和小泉駅を往復するバスが1時間に3本はあるので便数に問題はないのだが、バス停の名前に似合わず松尾寺までとてつもなく長く急な坂道が続く。途中杵築神社を参拝するのだが、本数は少ないが時間を合わせて矢田寺前バス停までバスで行き、矢田丘陵を一周して、帰りは時間により矢田寺前バス停横山口バス停からバスに乗る方がより楽しいだろう。

松尾寺本堂へ続く長い階段を登る気力も失せて、矢田山遊びの森散策ルートからいよいよ矢田丘陵の森に入り、まずは歴史の道を行く。しばらく登りが続くが近畿自然歩道道標から矢田丘陵の本領を発揮する遊歩道が始まり、矢田山遊びの森散策ルートの後すぐにある国見台展望台はその名の通り奈良盆地を一望できる素晴らしい眺望を満喫できる。

次の矢田山遊びの森散策ルートからは矢田の道へ入り、次の矢田山遊びの森散策ルートまでは一本道だが、その次の矢田山遊びの森散策ルートでは西に向かう道もあるので注意が必要だ。そしてその次の矢田山遊びの森散策ルートから平行して二つの道があるが、今回は矢田の道を進んだ。矢田の道は隣の遊歩道に比べて細く少し険しく山道らしくなっている。

頂上展望台からは360度のパノラマ風景が楽しめるが、ほとんど下界を見下ろせることはできずわずかに生駒山への眺望が開けるだけである。次の矢田丘陵遊歩道道標は「こどもの森」ではなく「榁ノ木・南生駒駅」の方へ進む方が矢田の道であり、すぐに小笹の辻がある。ここから県立矢田自然公園まで長い下りとなり、矢田の道の終わりにも矢田山遊びの森散策ルートがあった。

この後歴史の道を歩くのだが、近畿自然歩道道標が充実しているのでこれを追って行けばよい。まずは風光明媚な峠池の間の道を歩き、少し登ると本コースでは最後の矢田山遊びの森散策ルートがある。この後歴史の道にふさわしい古い道標の隣にある近畿自然歩道道標を過ぎてしばらく行くと東明寺だ。東明寺を過ぎると、近畿自然歩道道標を右折してすぐ近畿自然歩道道標を左折するとすぐにまた近畿自然歩道道標があり、本当にきめ細かい。

次の近畿自然歩道道標を道標通りに右に道をとると、その次の近畿自然歩道道標辺りからは心地良い水音がして、その次の近畿自然歩道道標では用水路と共に下る。そしてその次の近畿自然歩道道標でその用水路とは分かれると、その次の近畿自然歩道道標では一旦人里に出るが、またすぐに山道へ戻りその次の近畿自然歩道道標とその次の近畿自然歩道道標では山と里の境界を歩いて、本コース最後の近畿自然歩道道標を抜けると、矢田寺本堂の前に出た。

この後矢田寺の急で長い階段を降りて矢田寺山門をくぐるとすぐに矢田寺前バス停があるが、1時間に1本あるかないかなので横山口バス停まで歩くことになり、途中熊澤蕃山先生遺址があった。ただし気をつければならないのは矢田寺前バス停から歩いて来た道にある横山口バス停ではなく、次の交差点を右折して大和郡山矢田郵便局前の横山口バス停でバスを待たないとバスの本数は増えない。場所が違うのに同じ名前のバス停があるのはとても紛らわしい。生駒の散歩道「松尾山コース」(矢田山遊びの森 矢田越えの道)ではその次の矢田東山バス停まで歩かないとバスの本数が増えないと書いてしまった。

2011年10月1日土曜日

歩く・なら「青き山々に抱かれた国・古代風景と磯城の古墳を訪ねて」

歩く・なら青き山々に抱かれた国・古代風景と磯城の古墳を訪ねて」を歩いた。奈良盆地の中央に位置する磯城郡全ての町を巡り奈良盆地の広大さと平坦さを実感できるコースである。田原本町は歩く・なら「藤原京から平城京へとつづく古代の幹道・下ツ道」歩く・なら「太安万侶を輩出した多氏の故郷へ」で訪ねて旧くから開けた土地で名所旧蹟が多いことを身を持って知っていたが、三宅町は古墳の宝庫であり、川西町には天皇陵かと見紛うほど立派で周濠のきれいな島の山古墳があった。古墳時代の風景を色濃く残した磯城の里は歴史ロマンを満喫させてくれるだろう。


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コースのスタートは近鉄田原本駅で、歩く・なら「太安万侶を輩出した多氏の故郷へ」の終盤と同じ道を辿るかと思っていたが、観光ステーション磯城の里を訪ねた後は、歩く・なら「太安万侶を輩出した多氏の故郷へ」では訪れなかった、津島神社浄照寺本誓寺を巡る。いずれも本格的か特長のある寺社仏閣でなぜ歩く・なら「太安万侶を輩出した多氏の故郷へ」のコースに入っていないのか不思議だ。平野氏陣屋跡から安養寺までは、歩く・なら「藤原京から平城京へとつづく古代の幹道・下ツ道」と同じ道を辿り、鏡作神社の近くでは下ツ道と中街道があった。

この後進路を北から西に変更しいよいよ広大で平坦な奈良盆地を実感できる風景の中の古墳巡りが始まる。まず最初に笹鉾山古墳があり、次に近鉄橿原線を越えてすぐ坊主山古墳がある。その次の黒田大塚古墳法楽寺の辺りは道が入り組んでいてわかりにくかったが、天王塚の後進路を再び北にとり、近鉄田原本腺を近鉄但馬駅のすぐ西で越える辺りから、大和中央自転車道に合流し道に迷うことはなくなった。

大和中央自転車道案内図の後、再び飛鳥川を渡り大和中央自転車道と別れを告げると、三宅の里見どころ散策MAPがあった。三宅の里見どころ散策MAPには三宅古墳群の解説があり、この後もひょうたん山古墳アンノ山古墳高山古墳茄子塚寺の前古墳と古墳の目白押しだ。そして最後の島の山古墳が巨大できれいなのには正直驚いた。これまで巡った古墳との落差が大きい分感動も大きいのだろう。島の山古墳の北西にある比売久波神社を参拝し、結局島の山古墳を3/4周して進路を西にとる。

次に寺川を渡るのだがその手前には面塚が、渡ってすぐに糸井神社があった。ここからは目的地もなくゴールの近鉄結崎駅まで歩道があるので歩きにくいことはないが交通量の多い退屈な車道を歩く。途中川西町役場前に観世の里川西見どころ散策MAPがあり、観阿弥世阿弥の故郷であることがわかる。面塚は、歩く・なら「斑鳩から飛鳥へ聖徳太子の往来道・太子道(筋違道)」法隆寺前バス停~近鉄黒田駅で訪ねた記憶はあったのだが、寺川を今回と同じ橋を渡り、糸井神社も参拝していたのだった。

2011年9月23日金曜日

歩く・なら「初期王朝を偲ぶ 巨大古墳の道へ」

歩く・なら初期王朝を偲ぶ 巨大古墳の道へ」を歩いた。先週歩いた歩く・なら「古墳に彩られた、「初期ヤマト政権」誕生の地へ」にも書いたが、歩く・なら「古墳に彩られた、「初期ヤマト政権」誕生の地へ」を逆向きに辿れば、歩く・なら「大和国原を見はるかす 神話の道へ」と合わせて、ほぼ歩く・なら「山の辺の道(天理~桜井)」歩いたことになる。奈良県内のウォーキングコースとして最高峰の山の辺の道を楽しむのだが、コース名に冠せられている古墳を楽しむには、半分山の辺の道からはずれるがコースのスタートとゴールが同じ歩く・なら「山の辺の道 天理・桜井 街道がつなぐ古墳と国宝」(天理コース)の方が充実している。


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コースのスタートはJR柳本駅で、真っ直ぐ行燈山古墳(崇神天皇陵)を目指すのではなく、天理市立黒塚古墳展示館を南下して、伊射奈岐神社を参拝する。行燈山古墳(崇神天皇陵)は舗装道路の公道ではなく一段高い環濠沿いの小径を歩いた方がはるかに視界がいい。この後いよいよ山の辺の道に入り、すぐに天理市トレイルセンターがある。大和雅宮神社の手前では曼珠紗華が目を楽しませてくれ、大和神社御旅所坐神社には日本最古の看板が建てられていた。

マップの「道標ありP2」の位置が間違っていて戸惑ったが、手白香皇女衾田陵へは、五社神社から一度山の辺の道をはずれる。波多子塚古墳の手前から夜都伎神社までは山の辺でなく完全に平野の道が続き、途中新しい休憩所ができていた。天理観光農園峠の茶屋からは完全に山の中の道であり、コース後半に急坂が続くのは体力的につらいのだが、永久寺跡辺りは新しく黄土色に舗装されていてこちらも整備が進んでいる。石上神宮で山道は終わり、そこには山の辺の道案内図があった。この後奈良県随一の長さを誇るアーケード街の天理本通を抜けてJR・近鉄天理駅へゴールする。

2011年9月17日土曜日

歩く・なら「古墳に彩られた、「初期ヤマト政権」誕生の地へ」

歩く・なら古墳に彩られた、「初期ヤマト政権」誕生の地へ」を歩いた。前回歩いた歩く・なら「大和国原を見はるかす 神話の道へ」とゴールが同じJR巻向駅なので、コースを逆向きに辿れば前回の続きのように歩けたと思ったのだが後の祭りだった。しかし地相学的に最高なのではないかと思う三輪山の裾野に広がる珠城山古墳群から景行天皇陵へ向かう道をいつもと逆向きに歩けたのは大満足である。また歴史的風土特別保存地区 崇神・景行天皇陵は本当に素晴らしく、卑弥呼の時代を経て初期大和政権が誕生したのだと納得してしまう。


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コースのスタートはJR柳本駅歩く・なら­「奈良盆地­を一望・龍­王山城跡」と同様にまずは黒塚古墳を目指す。大和天神山古墳(伊射奈岐神社)を参拝した後、行燈山古墳(崇神天皇陵)を半周するのだが、歴史的風土特別保存地区 崇神・景行天皇陵からは、山の辺の道と合流し、行燈山古墳(崇神天皇陵)の東には櫛山古墳が広がる。

山の辺の道をしばらく辿った後、渋谷向山古墳(景行天皇陵)を訪れる。冒頭にも記したがここから次の目的地の珠城山古墳群へ向かう辺りは、古代に住む土地を選ぶなら最高だと感じられる素晴らしい所で、歩いていてもすこぶる気分がいい。珠城山古墳群から卑弥呼の里の眺望を楽しんだ後、垂仁天皇纒向珠城宮跡通り過ぎてJR巻向駅へゴールする。

2011年8月27日土曜日

歩く・なら「大和国原を見はるかす 神話の道へ」

歩く・なら大和国原を見はるかす 神話の道へ」を歩いた。先週歩く・なら「 “天地(あめつち)のはじめ”神さびし高天原をめざす」を歩いて、また山の辺の道を歩きたくなった。今度で4度目となるのでそろそろ飽きるか夏の暑い季節に歩けばいやになるかと思いきや、やはり山の辺の道は素晴らしい。歩く・なら「 “始まり”を­宿す、三輪山­の麓へ」とほとんど同じコースなのにもかかわらず、またまた楽しめてしまった。恐るべし日本最古の道である。


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近鉄桜井駅をスタートして桜井市歴史街道道標まで市街地を歩くが、そこからの道は桜井市大和・山の辺道標もあり再整備されている。すぐに視界が開け最初の目的地の海石榴市があり、大和川馬井出橋を渡ると仏教伝来之地碑の隣に万葉歌碑 作者未詳がある。

しばらく進んだ海石榴市観音堂の道案内の隣にも万葉歌碑 作者未詳があり、金屋の石仏の手前からいよいよ山の辺を歩く。ここから三輪山平等寺赤門までの道が一番好きだ。目的地である大神神社の境内に万葉歌碑 倭建命 長屋王があり、次の目的地の大美和の社(展望台)からの眺望は絶景である。

この後次の目的地の狭井川近くには万葉歌碑 伊須気余理比売があり、すこし歩けば万葉歌碑 神武天皇もある。玄賓庵を抜けて最後の目的地の檜原神社を参拝すれば、山の辺の道からはずれて奈良盆地へと下る道をとる。檜原神社の参道方向に二上山がきれいなシルエットを見せるのは新たな発見であった。檜原神社の周辺には歌碑が多くあり、万葉歌碑 柿本人磨を過ぎれば本格的な下り坂だ。

マップには書かれていないが、ゴールのJR巻向駅に向かう間に、歩く・なら「 卑弥呼はここにいたか?・ 纒向遺跡を歩く」でも訪れる茅原大墓古墳ホケノ山古墳、また宮内庁では第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されているが、元々は卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓古墳を巡り、コース終盤も退屈することはない。

2011年8月19日金曜日

歩く・なら「 “天地(あめつち)のはじめ”神さびし高天原をめざす」

歩く・なら“天地(あめつち)のはじめ”神さびし高天原をめざす」を歩いた。歩く・なら「葛城古道・神々のふるさとをたずねて」を高天原までの3分の1だけ歩いて何故か引き返し「葛城の道」のハイライトを存分に楽しむコースである。高天原とは勿論神々がお暮らしになったあの高天原であり、その名の通り山の中腹にかなりの平地が開けていて美しい田園風景が棚田を含めて広がるとてもいい所だ。このコースを歩いてしまうと間違いなく「葛城の道」を踏破したくなること請け合いである。


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コースのスタートは歩く・なら「葛城古道・神々のふるさとをたずねて」と同じ風の森バス停だが、前回はバスに乗るのに失敗して逆走したので降りるのは初めてである。そして葛城の道案内図から坂道を登った後、風の森神社が目的地に追加されている以外は、歩く・なら「葛城古道・神々のふるさとをたずねて」と同じ道を辿る。古い葛城の道道標から新しい葛城の道道標通りに歩を進めると高鴨神社があり、高鴨神社本殿前にはいい枝振りの紅葉があるので参拝するのは晩秋がいいようだ。隣には葛城の道歴史文化館もある。

葛城の道」は近畿自然歩道道標葛城の道伏見周辺案内図もありガイドが充実している。次の葛城の道道標から近畿自然歩道道標を過ぎるといよいよ本格的に山登りが始まる。特に高天彦神社参道は階段が施設されている急激な山道である。前回歩いた時と同様に雨で涼しいくらいだったのが一気に体温が上がり汗と雨でずぶ濡れ状態だ。しかし前回この参道は階段部分を含めて全部コンクリート舗装されているのですべることはないと思っていたら、登り終わった所は草茫々の畦道であり、簡単にはずせるが進入禁止の金属網もあり帰りは車道を歩くことにした。

鶯宿梅を過ぎてまた参道らしくなった後すぐ高天彦神社だ。ここから史跡高天原までが本コースのハイライトだが、史跡高天原には何もなく、橋本院のトイレ付の駐車場と化していて、次の近畿自然歩道道標近くには橋本院参道の道標も見掛けた。しかし高天原の田園風景は本当に素晴らしい。神話の世界に触れて清清しい気分に浸ることができるのだが、本コースは史跡高天原で折り返す。橋本院の先は厳しい山道だからだろうが、折りしも雨も上がったのでもう少し「葛城の道」を進もうかとも考えたが、すぐ雲が切れて夏の日差しが蘇ってきたので断念して正解であった。

この後コースからはずれて葛城の道道標から高天彦神社参道まで車道を下り、そこからは元来た道を葛城の道道標まで辿った後、「葛城の道」とは別れを告げ本コースでは鳥井戸バス停へゴールする。傘を差す程の雨が降らずこの季節には最高の天気と本ブログに書くつもりでいたのだが歩き出したらすぐ本降りになって本コースの折り返し地点まで傘を手放せなかったのはとても残念であった。しかし、「葛城の道」は「山の辺の道」負けず劣らず素晴らしい。是非とも紅葉の季節に今度こそ天気のいい日を選んで「葛城の道」を完全踏破したい。

2011年8月15日月曜日

大和郡山市観光モデルコース「戦国武将の夢 三つの城めぐり」

大和郡山市観光モデルコース戦国武将の夢 三つの城めぐり」を歩いた。大和郡山市観光モデルコース「野の花の咲く道 環濠集落めぐり」の続きのようでもあるが、歩く・なら「戦国武将の夢の跡・大和郡山の三城めぐり」の元になったコースであり、マップの精度は極めて低いので、歩く・なら「戦国武将の夢の跡・大和郡山の三城めぐり」マップ通りに辿る方がいいかもしれない。しかし二度歩いてもなかなかコース通りには歩けないおもしろいウォーキングルートである。


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コースのスタートはJR大和小泉駅であるが、大和郡山市観光モデルコース「野の花の咲く道 環濠集落めぐり」の続きのように近鉄筒井駅から歩いた。本数は少ないが時間を合わせて国道25号を走るバスを利用するのも手だ。JR大和小泉駅の東口は開けていて巨大なオブジェがあるのには驚いた。一見の価値有りで東口の階段を降りなくても改札口のある2階からの眺めるのがよい。本コースは西口から富雄川小泉側道橋を渡りまず小泉神社を参詣した後一つ目のお城である小泉城堀跡から小泉城跡を巡る。

金輪院庚申堂を参拝した後、富雄川沿いを走る飛鳥葛城自転車道飛鳥葛城自転車道終点まで北上し富雄川を今度は東に渡る。九頭神池から進路を南東にとり、八幡神社跡地の後JR大和路線を超えるとすぐにうしの宮がある。まんが池を半周し近鉄筒井駅の北で近鉄橿原腺を潜って、二つ目のお城の筒井順慶城跡から筒井城跡を巡るのだが、近鉄橿原線を潜る道がマップでは間違っていてまたまた右往左往してしまった。筒井順慶城跡を訪れるのは本当に大変だ。

この後千体寺まで北上する田園風景が素晴らしいし、再び近鉄橿原線を西へ越え豊浦八幡神社を抜けた後の田園風景もいい。そして何よりもJR大和路線近鉄橿原線交差は撮り鉄には絶景ポイントだ。そして三度近鉄橿原線を潜り郡山金魚卸売センター東進した後、進路を北にとると名物の金魚田風景が始まる。

八幡宮熊野神社天井神社を訪ねた後、今度は再びJR大和路線を越えてさらに四度目の近鉄橿原線を越えるのだが、近鉄橿原線を越える手前の道は草茫々でコース通りに歩くのを断念した。郡山金魚資料館の後コース通りに金魚田を突っ切って行くのも無理なのでまあいいか。大和郡山市「街の道WALK」道標から大納言塚までの道も小路なのでわかりにくく適当に歩くしかない。

永慶寺を参拝して北上するといよいよ三つ目のお城の郡山城堀跡に突き当たる。城跡が残っているのはここだけであり本コースのハイライトであり柳澤神社もあるのだが、結構お日様が雲にお隠れになっていたにもかかわらず体が悲鳴を上げているので内掘を越えることなく五度近鉄橿原線を越えて近鉄郡山駅にゴールした。やはり桜の開花時期に開かれる大和郡山お城まつりに合わせて巡るのがベストだろう。

2011年8月12日金曜日

歩く・なら「かぎろひ立つ、古の狩猟地・阿騎野へ」

歩く・ならかぎろひ立つ、古の狩猟地・阿騎野へ」を歩いた。いやいい。実にいい。阿騎野という地名に郷愁をそそられてはいたが、実際に歩いてみると本当にいい。かぎろひに立ち会うのは本当に大変だが、伊勢本街道の旧い町並みから青麦の揺れる田園風景を抜け、万葉集の名歌が詠まれた丘に立つ実に素晴らしいコースだ。こんな素晴らしい所がまだ奈良にあったのかと驚いた次第で真に「やまとは国のまほろば」である。

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コースのスタートとゴールである大宇陀バス停道の駅「宇陀路 大宇陀」の中にある。もちろん駐車場完備なのでマイカーで行ってもいいし、バスも1時間に2本はあるので、土産を選んでいれば時間を持て余すこともないだろう。大宇陀観光案内図から、近畿自然歩道道標を無視して目前の横断歩道を渡って直進した次に交差する道が伊勢本街道である。
旧い町並みによく似合う灰色をした特別な舗装道路が、推定明治前期建築の大宇陀まちづくりセンター「千軒舎」から、葛粉を作り始めて11代目の藤助が享保年間に自宅の裏山に開いた「小石川植物園」と並ぶ日本最古の薬草園である森野旧薬園辺りまで続き、何故か実に爽快な気分である。すこし階段を登った見晴らしのいい神楽岡神社の境内も雰囲気が素晴らしく何故か心地よく感じる。
歴史街道宇陀市道標から伊勢本街道に別れを告げ、水飛沫を上げる宇陀川を 渡り、近畿自然歩道道標通りに進み、次の歴史街道宇陀市道標を右に道をとり、その次の歴史街道宇陀市道標から、能舞台がある阿紀神社を目指す。天照大神を祀る所以が神武天皇が紀州熊野の難所を越えて宇陀の地まで進軍したというのだから、凄いの一言である。またこの辺りは麦の栽培地になっていて、青麦が風に揺れる田園風景が、稲に慣れた目には実に新鮮で気持いい。
この後本コースのハイライトであるかぎろひの丘(万葉公園)を登り下りする。毎年旧暦の11月17日の早朝に「かぎろひを観る会」が開催されるが、厳冬の雲一つない晴れた日でしか見られないらしい。人麻呂の詠んだ超有名な歌碑はそびえる程立派に建っている。そして一度は通過した歴史街道宇陀市道標を古の狩猟地に相応しいデザインの宇陀市大宇陀体育館を目指す。そして併設されている本コースの主人公の馬上像がある阿騎野・人麻呂公園を散策した後、一度通った近畿自然歩道道標を今度は道標通りに国道166号を歩いて道の駅「宇陀路 大宇陀」へゴールする。コース的には少し短いので、桜の季節にPLUSαの又兵衛桜まで足を伸ばすのが正解だろう。

2011年8月6日土曜日

大和郡山市観光モデルコース「野の花の咲く道 環濠集落めぐり」

大和郡山市観光モデルコース野の花の咲く道 環濠集落めぐり」を歩いた。コースの大部分が交通量の少ない田舎道であり、中には舗装もされていないだけでなく地図にも載っていない畦道を行き、なかなかコース通り歩くのが大変だがとてもおもしろい。ようやく夏の日差しが戻ってきた中、間道を探しながらのウォーキングは疲れるが、野の花に咲く道の看板に偽りがない大和郡山の田園風景を満喫できたので大満足である。


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大和郡山市観光モデルコース「あおによし平城(なら)への道」の続きのようなコースで、JR郡山駅をスタートして、まずは稗田環濠集落を目指す。大和郡山市観光モデルコース「あおによし平城(なら)への道」では佐保川と地蔵院川の間の土手を歩き強く感激したが、今回は佐保川西岸を歩く。寺蔵院川が全く見えないのがおもしろいし、途中から未舗装の道路になり川面を眺めながらのウォーキングは最高だ。

稗田阿礼を祀った売太神社のある稗田環濠集落を一周した後、若槻環濠集落を歩く。マップはアバウトなのでかなり迷ったが、大和郡山市指定若槻環濠及び集落道標があったのでコース通り歩けたと思う。しかし番条環濠集落では何も表示がなく、歩く・なら「藤原京から平城京へとつづく古代の幹道・下ツ道」で歩いた時に番条環濠集落がどこなのかわからなかったのもうなづける。

この後佐保川寺橋を渡り再び佐保川西岸を南下し、奈良県立盲学校から順慶堤を超えて最後の目的地である筒井城跡を巡って近鉄筒井駅にゴールするのだが筒井城跡の辺りでは大いに迷ってしまった。歩く・なら「戦国武将の夢の跡・大和郡山の三城めぐり」で訪れた木像筒井順慶公坐像のある光専寺筒井順慶城跡がコース上にあったのでこちらもマップの意図通りのコースを見つけられたと思う。前回は筒井城跡の看板が無く筒井順慶城跡が寂しかったのだが、今回は城の規模もわかり「兵どもが夢の跡」を感じられてよかった。

2011年7月23日土曜日

歩く・なら「東奔西走した二大ヒーロー終焉の地へ」

歩く・なら東奔西走した二大ヒーロー終焉の地へ」を歩いた。歩く・なら「うるわしき葛城の古代風景・秋津州古墳の道」をショートカットして逆向きに回るコースである。前回歩いた時に雄大な葛城山系を眺めながら歩くのが実に爽快で、逆向きに歩けば葛城山系に向かって歩くのでもっと楽しめると感じていたのだが、日頃の行いが悪いのか今回はもやがかかっていてとても残念である。しかし神話時代のヒーロー所縁の古墳を巡る旅は古代ロマンを満喫させてくれて大満足である。


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コースのスタートはJR掖上駅である。無人駅はJR桜井線で慣れていたが、JR和歌山線はPiTaPaも使えない。それどころかトイレもないのには閉口した。前方後円墳の後円部の緑が素晴らしい掖上鑵子塚古墳の後、すぐに秋津鴻池病院があったので事なきを得た。御所市民運動場を抜けて二大ヒーローの一人を祀った日本武尊琴引原白鳥陵までの道がわかりにくい。ここの道は前回もわかりにくかたのだが畦道しかないので仕方ない。

国道309号線を超えると葛城山を仰いで西進する本コースのハイライトが始まり、條ウル神古墳条池北古墳、条池南古墳みやす塚古墳と巨勢山古墳群を巡る。集落に入った後桜田池公園から道を北にとり、宮山古墳ネコ塚古墳を巡る。宮山古墳はもう一人の二大ヒーローの武内宿禰の墓ではないかと紹介している八幡神社から登ることができる。靫形埴輪のレプリカは見逃せないので是非登りたい。この後国道309号を西進し国道24号にある宮戸橋バス停がゴールである。ここから御所駅までバスを利用するのだが、ご覧の通り1時間に1本しかないので時間により歩いた方が早くなってしまう。

2011年7月16日土曜日

大和郡山市観光モデルコース「古代ロマン額田部の里」

大和郡山市観光モデルコース古代ロマン額田部の里」を歩いた。額田部の里は、歩く・なら「古の歴史と文化の香る町・安堵町ウォーキング」の終盤で訪ねていた。本コースはそのゴールの近鉄平端駅大和中央自転車道の起点のある近鉄ファミリー公園前駅の二駅を中心にして回る周回コースである。佐保川の流れに育まれた額田部の里と今でも豊かな自然を満喫できて素晴らしい。


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本コースのスタートとゴールは近鉄ファミリー公園前駅であるが、周回コースなので急行が停止する近鉄平端駅をスタートとゴールにする方が便利かもしれない。近鉄ファミリー公園前駅の前には大和中央自転車道案内図があり懐かしい。大和中央自転車道を歩くには南に向かうのだが、今回初めて西に道をとり浄化センター公園から奈良県浄化センター内を歩く。大樹に囲まれた舗道を歩くのに気分いい上に、見慣れない設備が目を楽しませてくれる。

佐保川高橋を渡ると本コースのハイライトである額田部の里で、聖徳太子ゆかりの額安寺を訪ねた後、額田部窯跡額安寺五輪塔を巡る鎌倉街道で、来迎寺を経て近鉄平端駅の北で近鉄橿原線を超えると五輪塔覆堂(筒井順慶墓所)があり、歴史ロマンを満喫できる。

佐保川三郷大橋を渡ると南岸は本当に自然豊かな草茫々で歩けない珊瑚珠川の北岸を西進し、嫁取り橋から下ツ道菅田神社鳥居まで南下した後、今では公道となっているとても長い菅田神社参道を歩く。菅田神社を参拝した後は三度佐保川に出て近鉄天理線を超えてゴールの近鉄ファミリー公園前駅まで南下する。

2011年7月9日土曜日

歩く・なら「古代の記憶が眠る飛鳥の里へ」

歩く・なら古代の記憶が眠る飛鳥の里へ」を歩いた。歩く・なら「橿原・明日香 明日香・藤原京へと都の歩みをたどる」(飛鳥コース)を逆向きに辿るようなコースであるがテーマが違うので訪れる名所旧蹟がほとんど違っているのがおもしろい。今まで飛鳥を訪れたのは秋から冬にかけてで落ち着いた風情だったのだが、初夏の緑鮮やかな田園風景も日本の原風景である飛鳥らしさを感じることができてよかった。例年より2週間も早く梅雨が明けた酷暑の中飛鳥観光をする人は少ないのも素晴らしい風景を独占できて大変よかったし、飛鳥の里はやはり歩いて巡るのが一番だ。


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近鉄橿原神宮前駅をスタートして、まずは孝元天皇陵のある剣池(現石川池)を訪れた後和田池を抜けると飛鳥の里が広がる。 推古天皇の豊浦宮を改築した豊浦寺の後身の向原寺を訪れるために少し回り道をした後、雷橋で飛鳥川を越えて雷丘を登る。雷丘本当に小さな丘なので苦も無く登ることができるだろう。

甘樫橋を渡り再び飛鳥川を越えれば本コースのハイライトである甘樫丘を登る。歩く・なら「橿原・明日香 明日香・藤原京へと都の歩みをたどる」(飛鳥コース)ではメインの登り道が工事中で急な石段の坂道を往復したのだが、今回はゆるやかに続く万葉植物を紹介した九十九折の坂道を登れて大満足だ。かなり長く登るので展望台から眺望は素晴らしい。大和三山に囲まれた藤原京までの距離がよくわかる。

甘樫橋に戻り三度飛鳥川を越えて、次は水落遺跡から飛鳥寺を抜けて、飛鳥座神社から大伴夫人の墓大原神社のある小原の里を訪れる。甘樫丘から見下ろす田園風景もよかったが、こちらから眺める田園風景も素晴らしい。実りの秋には黄金色に燃える棚田風景となるのも容易に想像できる。

この後奈良県立万葉文化館に出た所で道が途切れているようでびっくりしたが、そのまま奈良県立万葉文化館の前を通り過ぎると、酒船石遺跡へ通じる道があった。マップには載っていないが、ここまで来たら酒船石とともに酒船石遺跡は見逃せない。飛鳥に多く残る巨石は古代の記憶を最も留めるモニュメントだ。

飛鳥浄御原宮跡を訪れた後万葉を歩くルートなのになぜか目的地になっていない犬養万葉記念館の前を通り最後の目的地の国営飛鳥歴史公園石舞台地区を目指す。昼食がてらお店の人に聞いたみたところ嶋宮跡はお店の駐車場の辺りで一度発掘調査をしたが埋め戻したとのことである。

飛鳥川沿いに少し歩いた後飛鳥巨石巡りはまだまだ続き、亀石を訪れた後鬼の俎・雪隠を訪れる。本コースは丘を登り降りするので結構タフなコースで、わざわざ山を下ってまで長い石段を登る天武・持統天皇陵へ寄り道することもないのにと酷暑の中恨み事をつぶやく次第であった。本コースのゴールは近鉄飛鳥駅であるが、国営飛鳥歴史公園石舞台地区からバスで帰ってもいいかもしれない。

2011年7月2日土曜日

大和郡山市観光モデルコース「あおによし平城(なら)への道」

大和郡山市観光モデルコースあおによし平城(なら)への道」を歩いた。歩く・なら「藤原京から平城京へとつづく古代の幹道・下ツ道」で郡山市内を歩いたコースを逆向きに辿るのだが、変化に富んだコースで二度歩く価値が十分にあるし、前回は体力的にも疲れていて楽しめなった部分もあったのが、今回は時間も十二分にあり大和郡山の田園風景佐保川の土手歩きを満喫することができて大満足である。


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コースのスタートは近鉄九条駅で、西口から広がる新しい道を西進すると犬養孝先生揮毫の万葉歌碑もある平城京西市跡にぶつかる。奈良自転車道を往復して平城京西市船着場跡の場所も知っているので何ともなかったが、マップだけではなかなか探せないだろう。奈良自転車道標識-9通りに、九条公園へ向かう途中に秋篠川周遊案内図があった。九条公園は自然豊かな環境で、日本最古の貨幣が発見された富本銭出土地もある。

この後本コースのハイライトである大和郡山の田園風景が広がる。観音寺町花街道をのんびり歩いていくと、電車の底を下から眺めることができる踏切井路橋梁でJR大和路線を潜る。この後またマップの精度がよくないが真っ直ぐ佐保川堤防に上がってから佐保川を南下する。平城京羅城門跡から遠く平城京の朱雀門を望むことができるが、今度は完全にマップが間違っていて、佐保川沿いにある万葉歌碑 よみ人不詳をあきらめて、群界橋を渡れば枳殻(きこく)地蔵を拝めることができるだろう。

佐保川堤防の旅は最後に地蔵院川と合流する所で圧巻をむかえる。何と歩いている道のすぐ左が地蔵院川ですぐ右に佐保川を見下ろせるのである。二つの川が平行に流れている間にある細い道を歩くのは実に爽快だ。全国広しと言えどもこのような散歩道は二つとはないだろう。この後古事記のもとを暗誦していた稗田阿礼を主斎神とする売太神社のある稗田環濠集落を一周して北に向かい、JR郡山駅がゴールだ。

2011年6月25日土曜日

歩く・なら「“倭王”武と名乗った雄略天皇の拠点へ」

歩く・なら“倭王”武と名乗った雄略天皇の拠点へ」を歩いた。初瀬街道から初瀬観光を旅するコースである。初瀬街道は現在国道165号でありコースの大半が交通量の多い165号なのが残念だ。長い階段の登廊が有名な長谷寺のように、初瀬観光は急斜面を登り降りするので6.3Kmの距離の割には非常に厳しいコースであり、ゴールの近鉄長谷寺駅手前では、「もう階段は勘弁して」状態になってしまった。長谷寺は別名花のお寺と呼ばれており1年を通じて楽しめるコースで今回は見ての通りあじさいが咲いていたのだが、奈良県下では初瀬は吉野と並ぶ桜の名所なので桜の季節がベストシーズンだろう。


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コースのスタートは近鉄大和朝倉駅で、幾度となく訪れた山の辺の道の起点または終点となる桜井駅の東隣の駅である。山の辺の道東海自然歩道となっていてこの先はどうなっているのかと気になっていた所、早速東海自然歩道道標があった。ここから東海自然歩道を辿るのではなく脇本遺跡を訪れるために細い道へ入るが、発掘中でブルーシートで覆われている脇本遺跡は国道165号から眺めるのが最適であった。

国道165号をそのまま行くのではなく国道と平行に歩ける所は国道を避けるようになっていて、朝倉小学校の東には万葉歌碑 柿本人麻呂があったが、すぐに東海自然歩道道標で国道165号に戻る。そこからは国道沿いの万葉集最初の歌を詠んだ雄略天皇の「泊瀬朝倉宮伝承地」と「万葉集發燿讃仰碑」のある白山神社出雲の流れ地蔵を訪れる。

次に石灯籠と狛犬に特徴がある十二柱神社を訪れるため再び165号からはずれるがまたまた東海自然歩道道標で国道に戻る。ここまで国道の北側を東進していたが次の東海自然歩道道標は南側にあった。そして次の東海自然歩道道標から長谷寺の参道に入り旧い街並みを歩く。

ここまでは平坦な道のりであったが、ここからが本コースの正念場が始まる。長谷山口神社も山の上なら與喜天満神社も山の上であるし、桜と紅葉の眺望が素晴らしい長谷寺も山の上だからこその眺めである。この3つの山はそれぞれ違う山なので登り降りを3度繰り返すことになり、これは猛暑の夏にはとてもきつい。また長谷寺本堂へ登りきった所にも万葉歌碑 大伴坂上郎女があった。この後最後の東海自然歩道道標まで元来た道を戻って近鉄長谷寺駅にゴールする。

2011年6月18日土曜日

大和郡山市観光モデルコース「郡山城外堀めぐり」

大和郡山市観光モデルコース郡山城外堀めぐり」を歩いた。大和郡山市観光モデルコース「金魚が泳ぐ城下町」では郡山城外堀内の城下町や郡山城そのものを観光するコースだが、本コースは外堀に沿って歩くウォーキング主体のコースである。外堀だった面影もなく埋立てられた所も多いが、当時の面影を残した所もさまざまな形に変遷しているのが興趣深い。思えばウォーキングコースを辿ったGPSログデータをブログに掲載するようになったのは、奈良歴史の道(au地図ビューアー簡易ハンディGPS)の道標を見掛けたのが切っ掛けであった。本コースも形状の似ている郡山城外堀の石碑を探して巡るので、初心を思い出し昔懐かしい気分に浸ることができた。


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本コースは郡山城外堀跡を一周する周回コースなので、近鉄郡山駅のすぐ南の踏切の西側にある矢田筋裏池跡からコース設定通りに反時計回りに巡ったのだが、ある意味大成功であった。1周してきた最後の高塚池跡の石碑が結局見つからなかったのだが、最後なので十二分に時間をかけて探すことができたからである。

矢田筋裏池跡は全く水気がなく、八幡堀池跡は生活排水路であり、お風呂屋さんの前に柳町大門跡があった。本当に石碑らしい石碑の洞泉寺裏濠の後は、普段の散歩には最高の外堀緑地公園を歩く。その北門に石碑らしい石碑はこれが最後となる常念寺裏濠があり、ここでほぼ1/4周が終わる。

次の1/4週が一番外堀の面影を色濃く残していて、宮本上池高付上池広島下池広島浅池小川町裏池と今でも水を湛える池が続き、本コースのハイライトである。広島下池には「郡山城外堀案内板」があり、こちらは縮尺がしっかりとした地図が掲載されていてマップより役に立つだろう。また広島下池広島浅池の間に、お土居の松を解説したお土居公園もある。

次の1/4週は近鉄橿原腺を越えて始まるが、その前後に特定保水池整備事業(正願寺上池)と郡山城外堀代官池跡があり、特定保水池事業(代官池)までは現代の治水事業に活用されている。鴫ヶ池は面影がなく、番鐘池跡はまたまた生活排水路であるが、その後の尼ヶ池下が圧巻で金魚池の中の畦道を行く本コース第二のハイライトである。

尼ヶ池は現役の池だが、蛇ヶ池尻蛇ヶ池跡は見る影もなく、大和郡山市一の巨木「楠」の後最後の1/4周が始まるが、ここからが大いに迷ってしまった。大職冠裏池跡は少し下った所にあるので道を間違えると降りられないし、西矢田辻番所跡は鋭角に曲がる道角にある。箕山裏池跡は生活排水路の隣にひっそりと佇んでいたし、その次のマンション前にある石碑はなぜか同じ名前の箕山裏池跡で、前述した最後の高塚池跡の石碑はなかった。

マップの縮尺がかなりいい加減で道を間違えることが多く、さらに西側に石碑があるように表示されていても実際には東側にあったりして石碑の位置もかなりいい加減である。どうしても石碑を探す時間が増えて2時間あれば十分回れるだろうと思っていたら、倍の4時間もかかってしまった。これも宝探しの気分を楽しんでいると考えられれば許せるだろう。