2011年8月27日土曜日

歩く・なら「大和国原を見はるかす 神話の道へ」

歩く・なら大和国原を見はるかす 神話の道へ」を歩いた。先週歩く・なら「 “天地(あめつち)のはじめ”神さびし高天原をめざす」を歩いて、また山の辺の道を歩きたくなった。今度で4度目となるのでそろそろ飽きるか夏の暑い季節に歩けばいやになるかと思いきや、やはり山の辺の道は素晴らしい。歩く・なら「 “始まり”を­宿す、三輪山­の麓へ」とほとんど同じコースなのにもかかわらず、またまた楽しめてしまった。恐るべし日本最古の道である。


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近鉄桜井駅をスタートして桜井市歴史街道道標まで市街地を歩くが、そこからの道は桜井市大和・山の辺道標もあり再整備されている。すぐに視界が開け最初の目的地の海石榴市があり、大和川馬井出橋を渡ると仏教伝来之地碑の隣に万葉歌碑 作者未詳がある。

しばらく進んだ海石榴市観音堂の道案内の隣にも万葉歌碑 作者未詳があり、金屋の石仏の手前からいよいよ山の辺を歩く。ここから三輪山平等寺赤門までの道が一番好きだ。目的地である大神神社の境内に万葉歌碑 倭建命 長屋王があり、次の目的地の大美和の社(展望台)からの眺望は絶景である。

この後次の目的地の狭井川近くには万葉歌碑 伊須気余理比売があり、すこし歩けば万葉歌碑 神武天皇もある。玄賓庵を抜けて最後の目的地の檜原神社を参拝すれば、山の辺の道からはずれて奈良盆地へと下る道をとる。檜原神社の参道方向に二上山がきれいなシルエットを見せるのは新たな発見であった。檜原神社の周辺には歌碑が多くあり、万葉歌碑 柿本人磨を過ぎれば本格的な下り坂だ。

マップには書かれていないが、ゴールのJR巻向駅に向かう間に、歩く・なら「 卑弥呼はここにいたか?・ 纒向遺跡を歩く」でも訪れる茅原大墓古墳ホケノ山古墳、また宮内庁では第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されているが、元々は卑弥呼の墓ではないかと言われている箸墓古墳を巡り、コース終盤も退屈することはない。

2011年8月19日金曜日

歩く・なら「 “天地(あめつち)のはじめ”神さびし高天原をめざす」

歩く・なら“天地(あめつち)のはじめ”神さびし高天原をめざす」を歩いた。歩く・なら「葛城古道・神々のふるさとをたずねて」を高天原までの3分の1だけ歩いて何故か引き返し「葛城の道」のハイライトを存分に楽しむコースである。高天原とは勿論神々がお暮らしになったあの高天原であり、その名の通り山の中腹にかなりの平地が開けていて美しい田園風景が棚田を含めて広がるとてもいい所だ。このコースを歩いてしまうと間違いなく「葛城の道」を踏破したくなること請け合いである。


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コースのスタートは歩く・なら「葛城古道・神々のふるさとをたずねて」と同じ風の森バス停だが、前回はバスに乗るのに失敗して逆走したので降りるのは初めてである。そして葛城の道案内図から坂道を登った後、風の森神社が目的地に追加されている以外は、歩く・なら「葛城古道・神々のふるさとをたずねて」と同じ道を辿る。古い葛城の道道標から新しい葛城の道道標通りに歩を進めると高鴨神社があり、高鴨神社本殿前にはいい枝振りの紅葉があるので参拝するのは晩秋がいいようだ。隣には葛城の道歴史文化館もある。

葛城の道」は近畿自然歩道道標葛城の道伏見周辺案内図もありガイドが充実している。次の葛城の道道標から近畿自然歩道道標を過ぎるといよいよ本格的に山登りが始まる。特に高天彦神社参道は階段が施設されている急激な山道である。前回歩いた時と同様に雨で涼しいくらいだったのが一気に体温が上がり汗と雨でずぶ濡れ状態だ。しかし前回この参道は階段部分を含めて全部コンクリート舗装されているのですべることはないと思っていたら、登り終わった所は草茫々の畦道であり、簡単にはずせるが進入禁止の金属網もあり帰りは車道を歩くことにした。

鶯宿梅を過ぎてまた参道らしくなった後すぐ高天彦神社だ。ここから史跡高天原までが本コースのハイライトだが、史跡高天原には何もなく、橋本院のトイレ付の駐車場と化していて、次の近畿自然歩道道標近くには橋本院参道の道標も見掛けた。しかし高天原の田園風景は本当に素晴らしい。神話の世界に触れて清清しい気分に浸ることができるのだが、本コースは史跡高天原で折り返す。橋本院の先は厳しい山道だからだろうが、折りしも雨も上がったのでもう少し「葛城の道」を進もうかとも考えたが、すぐ雲が切れて夏の日差しが蘇ってきたので断念して正解であった。

この後コースからはずれて葛城の道道標から高天彦神社参道まで車道を下り、そこからは元来た道を葛城の道道標まで辿った後、「葛城の道」とは別れを告げ本コースでは鳥井戸バス停へゴールする。傘を差す程の雨が降らずこの季節には最高の天気と本ブログに書くつもりでいたのだが歩き出したらすぐ本降りになって本コースの折り返し地点まで傘を手放せなかったのはとても残念であった。しかし、「葛城の道」は「山の辺の道」負けず劣らず素晴らしい。是非とも紅葉の季節に今度こそ天気のいい日を選んで「葛城の道」を完全踏破したい。

2011年8月15日月曜日

大和郡山市観光モデルコース「戦国武将の夢 三つの城めぐり」

大和郡山市観光モデルコース戦国武将の夢 三つの城めぐり」を歩いた。大和郡山市観光モデルコース「野の花の咲く道 環濠集落めぐり」の続きのようでもあるが、歩く・なら「戦国武将の夢の跡・大和郡山の三城めぐり」の元になったコースであり、マップの精度は極めて低いので、歩く・なら「戦国武将の夢の跡・大和郡山の三城めぐり」マップ通りに辿る方がいいかもしれない。しかし二度歩いてもなかなかコース通りには歩けないおもしろいウォーキングルートである。


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コースのスタートはJR大和小泉駅であるが、大和郡山市観光モデルコース「野の花の咲く道 環濠集落めぐり」の続きのように近鉄筒井駅から歩いた。本数は少ないが時間を合わせて国道25号を走るバスを利用するのも手だ。JR大和小泉駅の東口は開けていて巨大なオブジェがあるのには驚いた。一見の価値有りで東口の階段を降りなくても改札口のある2階からの眺めるのがよい。本コースは西口から富雄川小泉側道橋を渡りまず小泉神社を参詣した後一つ目のお城である小泉城堀跡から小泉城跡を巡る。

金輪院庚申堂を参拝した後、富雄川沿いを走る飛鳥葛城自転車道飛鳥葛城自転車道終点まで北上し富雄川を今度は東に渡る。九頭神池から進路を南東にとり、八幡神社跡地の後JR大和路線を超えるとすぐにうしの宮がある。まんが池を半周し近鉄筒井駅の北で近鉄橿原腺を潜って、二つ目のお城の筒井順慶城跡から筒井城跡を巡るのだが、近鉄橿原線を潜る道がマップでは間違っていてまたまた右往左往してしまった。筒井順慶城跡を訪れるのは本当に大変だ。

この後千体寺まで北上する田園風景が素晴らしいし、再び近鉄橿原線を西へ越え豊浦八幡神社を抜けた後の田園風景もいい。そして何よりもJR大和路線近鉄橿原線交差は撮り鉄には絶景ポイントだ。そして三度近鉄橿原線を潜り郡山金魚卸売センター東進した後、進路を北にとると名物の金魚田風景が始まる。

八幡宮熊野神社天井神社を訪ねた後、今度は再びJR大和路線を越えてさらに四度目の近鉄橿原線を越えるのだが、近鉄橿原線を越える手前の道は草茫々でコース通りに歩くのを断念した。郡山金魚資料館の後コース通りに金魚田を突っ切って行くのも無理なのでまあいいか。大和郡山市「街の道WALK」道標から大納言塚までの道も小路なのでわかりにくく適当に歩くしかない。

永慶寺を参拝して北上するといよいよ三つ目のお城の郡山城堀跡に突き当たる。城跡が残っているのはここだけであり本コースのハイライトであり柳澤神社もあるのだが、結構お日様が雲にお隠れになっていたにもかかわらず体が悲鳴を上げているので内掘を越えることなく五度近鉄橿原線を越えて近鉄郡山駅にゴールした。やはり桜の開花時期に開かれる大和郡山お城まつりに合わせて巡るのがベストだろう。

2011年8月12日金曜日

歩く・なら「かぎろひ立つ、古の狩猟地・阿騎野へ」

歩く・ならかぎろひ立つ、古の狩猟地・阿騎野へ」を歩いた。いやいい。実にいい。阿騎野という地名に郷愁をそそられてはいたが、実際に歩いてみると本当にいい。かぎろひに立ち会うのは本当に大変だが、伊勢本街道の旧い町並みから青麦の揺れる田園風景を抜け、万葉集の名歌が詠まれた丘に立つ実に素晴らしいコースだ。こんな素晴らしい所がまだ奈良にあったのかと驚いた次第で真に「やまとは国のまほろば」である。

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コースのスタートとゴールである大宇陀バス停道の駅「宇陀路 大宇陀」の中にある。もちろん駐車場完備なのでマイカーで行ってもいいし、バスも1時間に2本はあるので、土産を選んでいれば時間を持て余すこともないだろう。大宇陀観光案内図から、近畿自然歩道道標を無視して目前の横断歩道を渡って直進した次に交差する道が伊勢本街道である。
旧い町並みによく似合う灰色をした特別な舗装道路が、推定明治前期建築の大宇陀まちづくりセンター「千軒舎」から、葛粉を作り始めて11代目の藤助が享保年間に自宅の裏山に開いた「小石川植物園」と並ぶ日本最古の薬草園である森野旧薬園辺りまで続き、何故か実に爽快な気分である。すこし階段を登った見晴らしのいい神楽岡神社の境内も雰囲気が素晴らしく何故か心地よく感じる。
歴史街道宇陀市道標から伊勢本街道に別れを告げ、水飛沫を上げる宇陀川を 渡り、近畿自然歩道道標通りに進み、次の歴史街道宇陀市道標を右に道をとり、その次の歴史街道宇陀市道標から、能舞台がある阿紀神社を目指す。天照大神を祀る所以が神武天皇が紀州熊野の難所を越えて宇陀の地まで進軍したというのだから、凄いの一言である。またこの辺りは麦の栽培地になっていて、青麦が風に揺れる田園風景が、稲に慣れた目には実に新鮮で気持いい。
この後本コースのハイライトであるかぎろひの丘(万葉公園)を登り下りする。毎年旧暦の11月17日の早朝に「かぎろひを観る会」が開催されるが、厳冬の雲一つない晴れた日でしか見られないらしい。人麻呂の詠んだ超有名な歌碑はそびえる程立派に建っている。そして一度は通過した歴史街道宇陀市道標を古の狩猟地に相応しいデザインの宇陀市大宇陀体育館を目指す。そして併設されている本コースの主人公の馬上像がある阿騎野・人麻呂公園を散策した後、一度通った近畿自然歩道道標を今度は道標通りに国道166号を歩いて道の駅「宇陀路 大宇陀」へゴールする。コース的には少し短いので、桜の季節にPLUSαの又兵衛桜まで足を伸ばすのが正解だろう。

2011年8月6日土曜日

大和郡山市観光モデルコース「野の花の咲く道 環濠集落めぐり」

大和郡山市観光モデルコース野の花の咲く道 環濠集落めぐり」を歩いた。コースの大部分が交通量の少ない田舎道であり、中には舗装もされていないだけでなく地図にも載っていない畦道を行き、なかなかコース通り歩くのが大変だがとてもおもしろい。ようやく夏の日差しが戻ってきた中、間道を探しながらのウォーキングは疲れるが、野の花に咲く道の看板に偽りがない大和郡山の田園風景を満喫できたので大満足である。


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大和郡山市観光モデルコース「あおによし平城(なら)への道」の続きのようなコースで、JR郡山駅をスタートして、まずは稗田環濠集落を目指す。大和郡山市観光モデルコース「あおによし平城(なら)への道」では佐保川と地蔵院川の間の土手を歩き強く感激したが、今回は佐保川西岸を歩く。寺蔵院川が全く見えないのがおもしろいし、途中から未舗装の道路になり川面を眺めながらのウォーキングは最高だ。

稗田阿礼を祀った売太神社のある稗田環濠集落を一周した後、若槻環濠集落を歩く。マップはアバウトなのでかなり迷ったが、大和郡山市指定若槻環濠及び集落道標があったのでコース通り歩けたと思う。しかし番条環濠集落では何も表示がなく、歩く・なら「藤原京から平城京へとつづく古代の幹道・下ツ道」で歩いた時に番条環濠集落がどこなのかわからなかったのもうなづける。

この後佐保川寺橋を渡り再び佐保川西岸を南下し、奈良県立盲学校から順慶堤を超えて最後の目的地である筒井城跡を巡って近鉄筒井駅にゴールするのだが筒井城跡の辺りでは大いに迷ってしまった。歩く・なら「戦国武将の夢の跡・大和郡山の三城めぐり」で訪れた木像筒井順慶公坐像のある光専寺筒井順慶城跡がコース上にあったのでこちらもマップの意図通りのコースを見つけられたと思う。前回は筒井城跡の看板が無く筒井順慶城跡が寂しかったのだが、今回は城の規模もわかり「兵どもが夢の跡」を感じられてよかった。