2007年5月19日土曜日

コンクリートブロックの御祭壇(忍熊王子と籠坂王子の旧蹟地)

何とも寂しい御祭壇である。もう少し何とかならないのだろうか。


ここは忍熊王子と籠坂王子の旧蹟地である。
鳥居と石碑さらには左に立てられている旧蹟地を説明している立札も立派なのだが。


ビニールをかぶせてあるので、光がどうしても反射してうまく撮れなかった。


説明によると押熊町の由来は忍熊王子がかつてこの地を支配していたことによる。カゴ池とカゴ坂は籠坂王子にちなんで名付けられたのだそうだ。カゴ池は地図に載っているのでわかるのだが、カゴ坂はどこにあるのだろう。ちなみにカゴ池の地図の中央の右の名前のない神社が忍熊王子と籠坂王子の旧蹟地になる。

地図を見て頂くとわかるが、異母兄弟の応神天皇をお祀りしている押熊八幡神社の敷地内に旧蹟地があるように見える。またならやま大通りを渡ってしばらく東に行った所(押熊交差点の北東部)の地名が、二人の王子の仇敵である神功皇后由来の地名となっているのも何とも因縁めいている。


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