2012年5月26日土曜日

奈良県葛城市名所旧跡ウォーキングガイド「竹内街道コース」

奈良県葛城市名所旧跡ウォーキングガイド竹内街道コース」を歩いた。竹内街道歩く・なら「大津皇子が眠る二上山と葛城の里」 を歩いた際に是非とももう一度今度は大阪方向に歩きたいと思っていた。本コースのハイライトも当然竹内街道かと思いきや、車幅が広い割に交通量がほとんどなくしかも観光道路を現す黄土色のアスファルト舗装道路が最高だった。静かで開放感のある田舎道を脳天気に歩くのは実に気分がいい。どうしても季節と天気がよくなければこの気分は味わえないのが難点ではあるが。

 
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本コースのスタートとゴールは近鉄磐城駅で、東西南北4方向にほとんど真四角に一周する。奈良県葛城市名所旧跡ウォーキングガイドでは時計回りに巡るようになっているが、それだと歩く・なら「大津皇子が眠る二上山と葛城の里」と同様竹内街道を奈良方向に歩いてしまうので、反時計回りにまずは竹内街道を西に芭蕉旧跡 綿弓塚まで歩く。中間点には立派な体育館のある葛城市當麻スポーツセンターがあり、芭蕉ゆかりの綿弓塚の看板のかかる旧家はちょっとしたミュージアムだ。

まだまだ大阪に向かって西に歩きたいところだが、ほんみち竹之内廟所に向かってすこし北に寄り道する。国道166号をくぐる道に小川が併流しいていてなかなか綺麗な墓地である。地元の人しか知らない粋な小径を選んでいて心憎い。この後鍋塚古墳を右手に見ながら県道30号を葛城市兵家案内板まで南下する。そして次の孝女伊麻旧跡へ西に向かう道が意外によかった。道の両側に民家はなく田畑が開け実にのどかだ。中間点の伊邪那岐神社から西は黄土色のアスファルトでやけに道幅も広く葛城の里を満喫できてしまった。

最後は住宅街を北に歩くのだがこの道も由緒ある街道で竹内街道長尾街道分岐点に達する。すぐ大磯虎女旧跡地があった後またすぐ葛城市南今市案内板がある。どうやら地区毎に名所旧跡が満載の案内板があるようだ。最後に訪れた長尾神社の手前にも葛城市長尾案内板があったし、芭蕉旧跡 綿弓塚の南にも案内板があったことを思い出した。さすが古墳時代に天皇家と張り合っていた葛城氏のホームグラウンドである。名所旧跡には事欠かない。古代から開かれた豊穣の里を感じることができて大満足である。

2012年5月19日土曜日

歩く・なら「ツツジの名所・古代ロマンあふれる神の山を歩く」

歩く・ならツツジの名所・古代ロマンあふれる神の山を歩く」を歩いた。ツツジの開花に合わせたつもりが、今年の梅も桜も開花時期が遅かった厳冬の影響か、種類により見ごろを過ぎたかまだこれからだったりなのが残念であった。しかし古代ロマンというようりも星空ロマンを十二分に満喫させてくれるし、先週訪れた歩く・なら「『古事記』を編纂した天才的文官、太安万侶の墓へ」(奈良市田原)の東に位置する山添村も大和茶の名産地で茶畑風景が目を潤してくれて大満足だ。


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コースのスタートは国道神野口バス停フォレストパーク神野山案内板から神野山山頂を目指す。ずっと登りかと思っていたら伊勢古道道標から平坦な道となりむしろ堂の前川まで一旦下り坂だ。この後きつい登り坂が続くのを新緑の素晴らしい茶畑風景をはげみにフォレストパーク神野山道標までくればまたまた意外に平坦な道が続く。茶がゆが自慢メニューの映山紅の前にあった奈良県立神野山自然公園(ふれあいの森)観光案内図よりも、鍋倉渓(天の川)の登り口にあったフォレストパーク神野山案内図が山道が多い神野山を歩くのに大活躍した。

鍋倉渓(天の川)からいよいよ本格的な山道を登りとなる本コースのハイライトなのだが、その手前に塩瀬地蔵座像がある。鍋倉渓を天の川に見立てた「たなばた伝説」には驚いた。山頂に向かう途中に天狗岩(アルタイル・夏の大三角形)がある。山頂はかなり広々としているが一旦神野寺まで山を下るのだが、そこに至る道に広がる茶畑がまた素晴らしい。再び山頂へ戻り360度大パノラマを展望休憩所から楽しんだ後、北へ下る道ですぐに王塚(デネブ・夏の大三角形)があり、しばらく下ると八畳岩(ベガ・夏の大三角形)がある。巨石をわざわざ運搬したとは考えにくいので人工物ではなく自然の偶然の産物だとは思うが縄文時代に鳥の目を持ち地上の星を見ていたのには驚天する。

めえめえ牧場を過ぎると本格的な山道は終わり、映山紅まで戻って神野山を一周した後は、上津ダムによりできた上津ダム湖まで車道を下る。ここから登りが続けば体力的に厳しいと危惧していたがほとんど登りはなくてよかった。後半の見所はここぐらいでゴールの国道山添バス停すぐ近くにある山添村ふるさとセンターへ足を伸ばせばその限りではないが、バスの便は極端に少ないので山添村ふるさとセンターに駐車させてもらいスタートの国道神野口バス停までバスを利用するのが現実的だろう。バスに乗り遅れないようにどうしても早目に着くことになるので自然とバス待ちのためにセンター内を巡ることになる。

2012年5月12日土曜日

歩く・なら「『古事記』を編纂した天才的文官、太安万侶の墓へ」

歩く・なら『古事記』を編纂した天才的文官、太安万侶の墓へ」を歩いた。田原を訪れるのは3年連続だが新茶の季節に訪れるのは初めてだ。やはり新緑の淡い緑は目に鮮やかで素晴らしい。奈良を歩く ゆきめぐり「茶畑が広がる山里「田原」を訪ねる」とほぼ同じ名所旧跡を巡るが、本コースは水田が多いので稲穂の季節に山里風景を楽しみのがいいかもしれない。茶畑を楽しむなら奈良ウォーキングマップ其の弐 3.麗しの茶畑田原コースが一番のおすすめだ。


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コースのスタートは日笠バス停で、奈良を歩く ゆきめぐり「茶畑が広がる山里「田原」を訪ねる」喫茶軽食グリーンとんねるで案内していた赤い屋根がすぐ北に見えた。河瀬直美監督が第60回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した「殯の森」のロケ地で素晴らしい茶畑が目を潤してくれるので、コースを逆に辿りゴールした後バスの待ち時間の時間調整するのがおすすめだ。

最初の目的地の日笠フシンダ遺跡と次の光仁天皇陵(田原東陵)は、北浦定政顕彰碑のすぐ近くだ。振り返ると自生の藤の木が満開だった。そしてその次の目的地の史跡太安萬侶墓が本コースのハイライトだ。急坂を50m程登らなくてはならないが何度見ても素晴らしい。眼下には超絶風景の茶畑が広がる。冒頭にも記したが新茶の淡い緑が美しい。

この後バス道から一山隔てた水田の広がる県道183号日笠東金坊線を歩く。最後は険しい山道なのかと戦々恐々としていたらわずかな坂道の林道は50mしかなく拍子抜けしてしまった。しかし林道を抜けた先にはまた素晴らしい茶畑が広がっていた。視界が開けた瞬間に目に鮮やかな緑の風景が飛び込んでくるのに感激する。そこから最後の目的地の春日宮天皇陵(田原西陵)とゴールの田原御陵前バス停は目の前だ。

2012年5月4日金曜日

歩く・なら「 「時に舎人あり…」。異才・稗田阿礼ゆかりの地へ」

歩く・なら「時に舎人あり…」。異才・稗田阿礼ゆかりの地へ」を歩いた。古事記が完成してから1300年経ったということで、稗田阿礼を主宰神として祀る賣太神社には古事記撰上千三百年ののぼりが立てられていた。賣太神社を訪ねるのは、歩く・なら「藤原京から平城京へとつづく古代の幹道・下ツ道」大和郡山市観光モデルコース「あおによし平城(なら)への道」大和郡山市観光モデルコース「野の花の咲く道 環濠集落めぐり」に続いて4度目となるのだが、佐保川堤は何度歩いても楽しい。本コースはその佐保川を下るだけでもなく上るだけでもなく往復するのが大きな特徴で、薫風の中なら爽快に歩くことができるだろう。


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コースのゴールとスタートはJR郡山駅なのだが、不便なので今回はプラスαの大和郡山市元気城下町プラザがあり、無料駐車場完備のイオンモール大和郡山をゴールとスタートとした。まずは西に向かい、佐保川下三橋町高架橋を登らずに側道から佐保川堤を北上すると次の羅城門橋北側歩道中央に平城京羅城門跡と羅城門橋西側高架下にも平城京羅城門跡・平城京朱雀大路跡がある。

佐保川下三橋町高架橋まで佐保川西岸を下った後、本来のゴールとスタートであるJR郡山駅に立ち寄るために一旦佐保川を離れて、きこく地蔵尊のある郡界橋から再度佐保川を南下する。大和郡山市観光モデルコース「あおによし平城(なら)への道」で紹介している佐保川と地蔵院川から、本コースの目的地でかたりべの碑のある賣太神社まで東進する。

この後稗田環濠集落を半周するのだが、途中本コースの最南端にある下ツ道 大和郡山市 稗田町から北上することになる。船着場跡と枳殻地蔵尊までは住宅街を歩くが、次の最初に眺望した佐保川下三橋町高架橋まで再び佐保川堤を歩いて、イオンモール大和郡山に戻る。本コースはショートコースなので昼飯前にゴールできるだろう。

2012年5月1日火曜日

歩く・なら「奥吉野に散る太刀の血煙・明治維新の魁「天誅組」最後の日(終焉の地)」(蟻通~鷲家)

歩く・なら奥吉野に散る太刀の血煙・明治維新の魁「天誅組」最後の日(終焉の地)」(蟻通~鷲家)を歩いた。前回の歩く・なら「奥吉野に散る太刀の血煙・明治維新の魁「天誅組」最後の日(終焉の地)」(武木~蟻通)が天誅組ゆかりの史跡旧跡は訪ねることなくただひたすら長くつらい天誅組が進軍した山越えの道を歩くのに対して、今回は天誅組の無念を辿る旅となる。その無念が昇華したのが天誅組総裁吉村寅太郎遺詠だ。天誅組が進んだ同じ長くつらい山越えの道を歩いたからこそその無念により共鳴できる。高見川沿いを下った後鷲家川沿いを登り清流と自然も満喫できるし、天誅組総裁吉村寅太郎遺詠を読んだ瞬間に本コースのベストシーズンは深秋だと思ったのたが、天誅組の無念に共鳴してしまうと紅いもみじを眺めながら楽しく歩くことができないのではと感じ入ってしまった。正直今の季節でも紅い常紅のもみじを見るのが怖い。


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蟻通バス停にはより詳しく歩く・なら「奥吉野に散る太刀の血煙・明治維新の魁「天誅組」最後の日(終焉の地)」(武木~蟻通)に書いたが、高見川へ四郷川と木津川が合流する観光名所である夢淵がある。さらに丹生川上神社の過ぎてすぐ吉野離宮址爺婆石があった。ここから風光明媚な高見川を下るが流れは緩やかで道はほとんど傾斜を感じない。清流を眺めるだけでも退屈しないが、小川氏菩提寺天照禅寺魚見石原石鼎旧居原地(小診療所)跡と見所もある。そして東吉野観光旅館杉ケ瀬を過ぎるといよいよ天誅組ゆかりの史跡が目白押しである。

天誅義士明治谷墓所天誅組志士菩提寺宝泉寺・天誅義士記念碑を巡った後、近畿自然歩道道標・東吉野村役場があった。天誅組史跡(出合橋跡)から天誅組史跡宍戸弥四郎戦死の地の間が旧町で天誅組史跡碇屋彦根藩石原甚五左衛門陣所跡があり、他にも全部を撮影していないが義士戦死の碑が多数ある。この後鷲家川を登るがさほど傾斜はきつくなく清流を目と耳で楽しむことになり、コース最大のハイライトである天誅組終焉之地碑へ向かう間にも、鷲家川天誅組史跡天誅組史跡(市ノ谷)があった。冒頭に紹介した天誅組総裁吉村寅太郎遺詠の隣にあり、天誅義士の足跡を訪ねてと共に涙をさそう。

ゴールの鷲家バス停を一旦過ぎて伊勢街道道標を「いせくまの」へ道をとると天誅組遺跡紀州藩軍役方頭取金沢弥右衛門陣所跡のすぐ先に近畿自然歩道道標←萩原↓木津があった。予定通り時間を余してオプションルートの天誅義士湯ノ谷墓所を訪ねると何とも奇妙なそれでいて情緒のある枯れ木があった。それでも時間が余ったので松尾芭蕉副脾の案内に誘われて入った先に天誅組遺跡森下幾馬戦死の地があった。鷲家八幡神社もなかなか小奇麗な神社だ。鷲家バス停に戻ってみると目の前の二階に天誅組史跡(油屋)藤堂藩陣所跡がある。蟻通バス停同様こちらも時間つぶしに事欠かない。