2012年5月1日火曜日

歩く・なら「奥吉野に散る太刀の血煙・明治維新の魁「天誅組」最後の日(終焉の地)」(蟻通~鷲家)

歩く・なら奥吉野に散る太刀の血煙・明治維新の魁「天誅組」最後の日(終焉の地)」(蟻通~鷲家)を歩いた。前回の歩く・なら「奥吉野に散る太刀の血煙・明治維新の魁「天誅組」最後の日(終焉の地)」(武木~蟻通)が天誅組ゆかりの史跡旧跡は訪ねることなくただひたすら長くつらい天誅組が進軍した山越えの道を歩くのに対して、今回は天誅組の無念を辿る旅となる。その無念が昇華したのが天誅組総裁吉村寅太郎遺詠だ。天誅組が進んだ同じ長くつらい山越えの道を歩いたからこそその無念により共鳴できる。高見川沿いを下った後鷲家川沿いを登り清流と自然も満喫できるし、天誅組総裁吉村寅太郎遺詠を読んだ瞬間に本コースのベストシーズンは深秋だと思ったのたが、天誅組の無念に共鳴してしまうと紅いもみじを眺めながら楽しく歩くことができないのではと感じ入ってしまった。正直今の季節でも紅い常紅のもみじを見るのが怖い。


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蟻通バス停にはより詳しく歩く・なら「奥吉野に散る太刀の血煙・明治維新の魁「天誅組」最後の日(終焉の地)」(武木~蟻通)に書いたが、高見川へ四郷川と木津川が合流する観光名所である夢淵がある。さらに丹生川上神社の過ぎてすぐ吉野離宮址爺婆石があった。ここから風光明媚な高見川を下るが流れは緩やかで道はほとんど傾斜を感じない。清流を眺めるだけでも退屈しないが、小川氏菩提寺天照禅寺魚見石原石鼎旧居原地(小診療所)跡と見所もある。そして東吉野観光旅館杉ケ瀬を過ぎるといよいよ天誅組ゆかりの史跡が目白押しである。

天誅義士明治谷墓所天誅組志士菩提寺宝泉寺・天誅義士記念碑を巡った後、近畿自然歩道道標・東吉野村役場があった。天誅組史跡(出合橋跡)から天誅組史跡宍戸弥四郎戦死の地の間が旧町で天誅組史跡碇屋彦根藩石原甚五左衛門陣所跡があり、他にも全部を撮影していないが義士戦死の碑が多数ある。この後鷲家川を登るがさほど傾斜はきつくなく清流を目と耳で楽しむことになり、コース最大のハイライトである天誅組終焉之地碑へ向かう間にも、鷲家川天誅組史跡天誅組史跡(市ノ谷)があった。冒頭に紹介した天誅組総裁吉村寅太郎遺詠の隣にあり、天誅義士の足跡を訪ねてと共に涙をさそう。

ゴールの鷲家バス停を一旦過ぎて伊勢街道道標を「いせくまの」へ道をとると天誅組遺跡紀州藩軍役方頭取金沢弥右衛門陣所跡のすぐ先に近畿自然歩道道標←萩原↓木津があった。予定通り時間を余してオプションルートの天誅義士湯ノ谷墓所を訪ねると何とも奇妙なそれでいて情緒のある枯れ木があった。それでも時間が余ったので松尾芭蕉副脾の案内に誘われて入った先に天誅組遺跡森下幾馬戦死の地があった。鷲家八幡神社もなかなか小奇麗な神社だ。鷲家バス停に戻ってみると目の前の二階に天誅組史跡(油屋)藤堂藩陣所跡がある。蟻通バス停同様こちらも時間つぶしに事欠かない。