2007年6月30日土曜日

一面水の華の奥山田池


一面緑色で覆われている。かなり不気味だ。
アオコかと思ったが違うようだ。

微小な藻類が高密度に発生し水面付近が変色する現象を水の華と呼んでいる。淡水域における浮遊性藍藻や緑藻、ユーグレナ藻の大発生を指すことが多いとのこと。どちらにしても赤潮同様いい現象ではないらしい。よくないことなのに、またどうみてもきれいとは思えないのに華と名付けたのだろうか。


ここは押熊交差点から南西方向の奥山田池である。上の2枚の写真を撮った池の北側は道が整備されており散策することができる。ならやま大通りからすぐなのに閑静できれいな池だったのに残念である。春先の水温の上昇とともに発生しやすい現象とのことなので早くきれいな奥山田池に戻って欲しい。


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2007年6月23日土曜日

北大和近隣?公園

さわやかな高原を、しかも秋の高原を感じてしまった。
ゆるやかな斜面に芝生が整備されており、子供が斜面すべりをするにはもってこいである。


確かに下の写真にあるように、生駒市北大和の公園であるのだが、公園の名前を記した石碑がない。(奈良市のように無粋な金属の看板ではなく、生駒市は小さいが石碑を立てている。)公園をくまなく探したわけではないので、ひょっとすると見逃しているかもしれないが。


看板の向こうに見えているのは、近鉄けいはんな線学研奈良登美ヶ丘駅の車庫である。遠目でしか見ていないが、レールが錆びておりまだ使用していないようだ。古都を舞う天女が描かれている登美ヶ丘駅は車庫のすぐ向こうである。


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2007年6月16日土曜日

緑地は自然にまかせて(神功四丁目緑地)

文字通りの草茫々である。緑地と言えば花博のあった鶴見緑地をイメージするのだが。


ここは神功四丁目緑地である。上の写真も下の写真もリンク先のMapFanWebの中心点から撮っている。上の写真は南南東の方向、地図上ではより濃い緑色になっている所である。この円形部分は完全に人の手を入れないようだ。
でも下の写真は東北東の方向、すなわち地図上では道となっている部分なのであるが、これでは散歩する気になれない。誰も訪れないなら金を使って管理する必要はないので本当の自然に還した方がいいのではないだろうか。


奈良市の緑地とは草木が自然に繁殖する場所と言う意味なのだろうか。それなら蒼池も緑地にして欲しい。


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2007年6月10日日曜日

あった!押熊瓦窯跡


探しているわけではなかったが、偶然発見した。まゆみは檀で気になっていた押熊瓦窯跡だ。

グーグル検索するとまゆみは檀が第2位になっている。それだけ無名なのだろう。よく見つかったものだ。神功六丁目緑地の中に入っていって正に発見したという感覚だ。奈良市は公園及び緑地の看板を必ずといっていいほど立てているのだが、表の道にある看板にはいつも通りの内容しか書かれていなかった。もう少し案内があっていいのではないだろうか。窯跡は緑地の北東のはずれにあり、緑地の西側から緑地を迂回していけるようにもなっているが、わずかに案内があるのは緑地の北西に「高の原古道」の道標があるのみである。この道標も緑地の奥の方なので、当然表通りからは見えない。


説明板によると奈良の都には多くの瓦を焼く窯があった。グーグル検索で1位のUR都市機構 関西文化学術研究都市事業本部 歴史街道Wa.4により詳しい説明があり、多くの窯が必要なのは多くの瓦が必要であったということだ。


1枚目の写真を見てもわかるように、金をかけて復元したにもかかわらず管理は杜撰である。鉄格子にして中に入れないようにしているのだが、この小屋つけられているドアの鍵が開いていた。あまり人が来ないように案内も出していないのだろうか。


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2007年6月2日土曜日

まゆみは檀(万葉の小径)

草ボウボウで案内の文字が見えないが、ここは石のカラト古墳に隣接する「万葉の小径」である。


万葉に詠まれている植物を実際に植えてあり、そこに歌の解説をした陶版が設けられている。

                     春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

ぐらいしか知らないので、退屈ではあるが我慢して読めば万葉人の心に触れることができるすばらしい公園である。しかしご覧の通り陶板も草木に覆われているし、全ての植物にネームプレートを立ててあったと思うのだが、ネームプレートがなかったり、ひどい所はどう見てもネームプレートだけあって肝心の植物がなかったりする。


かなりの数の植物と歌が紹介されているし、また歌だけでなく万葉時代の歴史や人々の生活についても学べるようになっているのに、返す返すも植栽が荒れているのが残念である。あまり評判がよくないのか、「万葉の小径」で、グーグル検索して上位に出てくるホームページは他の場所の情報ばかりである。奈良県の公園なのか奈良市の公園なのかもちょっと調べただけではわからなかった。まさか昭和54年(1979年)のニュータウン建設当時に住宅開発業者が造成したのではないと思うが。また、東の石のカラト古墳はすぐわかるのだが、西の押熊瓦窯跡はどにあるのだろう。


女の子の名前のまゆみは真弓から来ているとは思っていたが、真弓はまゆみの木から作っていたとは驚いた。万葉の時代からまゆみは正統な由緒正しい女の子の名前なのだろう。

                     南淵の 細川山に 立つ檀 弓束纏くまで 人に知らえじ

純朴な万葉人の恋心が感じられ、万葉の小径で一番感動した。


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