2010年10月2日土曜日

歩く・なら「葬るかたち・宮都「飛鳥藤原」西方の古墳を訪ねて」(近鉄橿原神宮前駅~近鉄飛鳥駅)

歩く・なら葬るかたち・宮都「飛鳥藤原」西方の古墳を訪ねて」(近鉄橿原神宮前駅~近鉄飛鳥駅)を歩いた。歩く・なら「橿原・明日香 明日香・藤原京へと都の歩みをたどる」(橿原コース)の後半とほとんど同じ史跡と古墳を巡るが、今回の方が、より多くの古墳を訪れるようになっており古墳好きには堪らないコースである。


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コースのスタートは近鉄橿原神宮前駅で、西口から西へ進路を取り史跡益田池堤の前を通り、新沢千塚古墳群道標を右折して、史跡新沢千塚古墳群を散策するのだが、前回とはコースが違っていて新沢千塚古墳群道標の写真に写っている建物の前を抜けて、橿原市千塚資料館へと降りる。前回よりすっきりとしたコースだがすっきりしすぎていてもう少し古墳のある丘を散策してもいいように思う。

この後西進して来た道を南へ渡り本コースのハイライトである国指定史跡新沢千塚古墳群の遊歩道を散策する。県立橿原高等学校グラウンドで遊歩道は終わり、今後史跡古墳を訪れる以外はほとんど市街地を行く。次の桝山古墳(倭彦命墓)はコースが延びるので前回のコースにはなかった目的地である。

鳥屋ミサンザイ古墳(宣化天皇陵)からは前回と同じ道を行くのかと思いきや、築坂邑伝承地石碑から、幹線道路から脇道に入り、橿原市立白橿北小学校の裏を半周するようにして前回と同じ道に戻って南進する。

白橿町案内図の次の道を右折して少し山の中にあるのでわかりにくいが、小谷古墳を訪れた後、史跡岩船から途中急な特に下るのはとても危険な山道を往復して益田岩船を廻る。

前回は沼山古墳(白橿近隣公園)を訪れた後は帰路となったが、今回は橿原市立白橿中学校までさらに幹線道路を南進した後、真弓鑵子塚古墳牽牛子塚古墳を巡る。この二つの古墳を廻る道は思いがけずも山道であり、山道から出た所には明日香村田園風景が広がっていた。

明日香村はいつきても懐かしく気持ちをなぐさめてくれる癒しの里だ。今回も山から降りてきて本当にほっとした気分を味わうことができた。この後の岩屋山古墳は石室内に入ることができるし、ここからコース中間点の近鉄飛鳥駅はすぐそこなので、疲れていても石段を登ることをお薦めする。

今回のコースは前回訪れていて土地勘があり迷うことはないと考えていたら、前回と同じ道を行くとの思い込みがあだになって道を間違えてしまった。スタート時には一気にゴールするつもりでいたのだが、コースを間違えたダメージは大きく疲れてしまい、コース中間点で時間的にも体力的にも限界がきてしまった。まあ急ぐ旅でもないので別にかまわないのだが、少し体力が落ちてきたのではないかと感じているのが一番の心配事である。