2012年4月21日土曜日

歩く・なら「能楽ゆかりの多武峰と三輪」

歩く・なら能楽ゆかりの多武峰と三輪」を歩いた。お定まりではあるが本コースも桜か紅葉の季節がベストシーズンである。いつもなら4月初旬から中旬が見頃を迎える多武峰の桜はようやく咲いたと思ったら今週の雨ですでに散り始めていた。しかし天気予報をくつ返して快晴までとはいかないが青空の広がる桜吹雪の舞う道を歩けたのは、今春の週末の天気が悪く塞いでいた気分を見事に晴らしてくれた。峰から降りた下界にも本コースは桜の名所は多いので多武峰で開花した頃に歩くのがおすすめではあるが、今年のように梅も桜も遅れるような年は山間部ほど開花が遅れるようで難しい。桜の季節は多武峰観光だけに専念して本コースを歩くのは紅葉の季節がいいのかもしれない。


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コースのスタートは談山神社バス停で、見ての通り素晴らしい桜風景だし通ってきたバス道の桜並木も素晴らしいが、本コースはそれらをはずしている。談山神社の全山くまなく歩いて多武峰全ての桜を楽しむなら1日がかりになるだろう。歩く・ならはリニューアルに合わせてコースをGoogleMapに掲載するようになり、いつもの歩いた軌跡を取得をしているIS01のOruxMapsにこのGoogleMapkmlファイルを取り込めば道に迷うことはないと思っていたらいきなりスタートの談山神社バス停の位置が違っていた。まあ本家本元の歩く・ならMapも完全ではないし、ここら辺のGoogleMapは荒く本コースの道が描画されていないので仕方ない。

桜吹雪の中を談山神社へ向かって山を下っていくと素晴らしい多武峰の桜風景だし、石段を登って談山神社拝殿からの眺も最高である。大化の改新の舞台にもなった今でも必ずニュースで流れるけまり奉納が行われるけまりの庭から望む十三重塔は桜の季節は実に絵になり、まだまだ多武峰観光を楽しみたいところだが、本コースは先が長いのでせせらぎを楽しみながら談山神社参道を下る。渓流沿いに歩くのが大好きなのだが、談山神社東大門から寺川屋形橋の遊歩道は短いがとても歩きやすい砂利というには少し小さなササクレだった小石が敷き詰められていたのに痛く感激した。ここからコースの大半は寺川沿いに進むことになるのだがしばらく行くと、奈良を歩く ゆきめぐり「剣豪ゆかりの里「柳生」を歩く」一刀石を彷彿する破不動不動滝があり、多武峰観光はここで一区切りだ。 


基本的に本コースは山下りのコースだと油断していたら、次はなかなかの勾配を持つ登りになった。本コースは長く最初から登りのきつい音羽山観音寺を目指すオプションルートはすっ飛ばすつもりでいたのだが、GoogleMapオプションルートの分岐点は分け行っていくのにかなり躊躇ってしまうような道だし、これが本道だと思う音羽山参道の位置はMapともかなり違っている。寺川沿いに戻ってくるとうきうきわくわくウォーキングがあり音羽山は登山に適しているようだ。その入口となるのが下居バス停であり桜が歓迎してくれるのだが、何とか見れるのは1本だけだった。Mapではここから倉橋池口バス停まで車通りが多く歩道もないのでバスに乗るよう勧めている。オプションコースを踏破するなら時間配分もいいし、後半を先に歩くことを厭わなければ何より桜の開花に合わせることができるので、コースを二分するならここがベストだ。 


 山下りはここで終わり、崇峻天皇陵を訪れた後の寺川がとてもよく、次にフェノロサが絶賛して国宝となった必見の十一面観音を有する聖林寺を参拝する。続けてここから参道だったのかと驚く談山神社一の鳥居を過ぎて、本コースのメインテーマである日本芸能発祥の地と語られている土舞台に足を伸ばした後、いよいよ寺川とはお別れだ。名残を惜しむようにアオサギ?とカモ?のツーショットを撮らえることができた。距離的にも時間的にも体力的にもこのままバスに搭乗した桜井駅にゴールしたいところだが、能楽宝生流発祥之碑を訪ねるために宗像神社へと道をとる。歩く・なら「山の辺の道 天理・桜井 街道がつなぐ古墳と国宝」(桜井コース)でも歩いたが旧町の趣のある旧家が多くなかなか楽しい。山の辺の道は何度も歩いているが宗像神社と次の欽明天皇磯城嶋金刺宮址を訪れるのは初めてだ。


仏教伝来之地碑からはいつもの山の辺の道を辿り、喜多美術館から大神神社を参拝し大美和の社展望台を登る。季節が合えば随所に桜風景が広がるのだがほとんどが葉桜なのは予想通りである。しかし大美和の社展望台からヤマザクラがまだまだ見れるのは意外だった。この後も初めて訪れる久延彦神社若宮社を巡り、歩く・なら「 卑弥呼はここにいたか?・ 纒向遺跡を歩く」と同様JR三輪駅へゴールするのがとってつけたように感じられる。山の辺の道を北へ向かうのではなく東に向かい歩く・なら「“倭王”武と名乗った雄略天皇の拠点へ」のスタート地点である大和朝倉駅をゴールにする方が、歩く・ならで抜け落ちている区間を繋げることができてよかったのではないかと思う。